2012-09-11

ただいま!(雑談)

9月9日10時半頃、成田空港に到着。帰国しました。
一応予定では、この後の残りの半周をするために、少し日本で働きつつ、準備したいと思っている。

私の性格からして、最後の日は感傷的になるのではないかと思ったけど、全くそんなことはなかった。不思議だなとずっと思っていたけど、それはやはりまだ途中だとわかっていたからだと思う。

ローマからモスクワへ行き、モスクワから成田行きへ乗った。最後の飛行機。搭乗前にちょうど夕日が沈み始めていて、自分が乗る事になる飛行機がもう到着していたので、それを見つめていた。
もうこれで帰るんだなーと思いつつ、本当に昨日出発したような気もしていたし、一つ一つ思い返してみるととてつもなく長い期間だったなとも思った。

毎日新しいことが起きて、新しいものを見て、新しい人に出会う。本当に楽しすぎる毎日だった。1度も帰りたいと思った事はない。強盗にあったときはショックではあったけど、その後すぐに近くの人が助けてくれたし。知っている人は周りに誰もいなくて、一人で全部やらなくてはいけないということも楽しかった。失敗したり、多少の金額ぼられたりは結構したけど、それも経験すればするほど、覚えていく、どうすればいいのかということを。
そういうことを考えていたら、そういう意味では普段の旅していないときの生活も同じだなとも思った。真新しい何かはそうそう毎日はないのかもしれないけど、仕事でもなんでも経験するから覚えて、失敗するから次やらないようにしようと考える。でもきっとそういうことを思わなくなったら、毎日がつまらないと感じるままなんだろうなと思った。要はどんなことでも自分がどう感じてどう動くのかという事で楽しくもなるしつまらなくもなる。そういう当たり前の事を改めて思った。

しかしやはり旅をしていないときの生活と一番違うのは周りにいる人が違う文化を背景に育った人たちということ。驚く事もあれば、共感できないと思う事、逆にここはあまり変わらないなと思うこともあった。私は極力日本人とつるむのを避けていた(日本でそもそも友達の人が訪ねてくるときをのぞいて)。なぜならそれではせっかく違う国にいるのに、また同じ人種のコミュニティ内で過ごす、という事に疑問を感じていたから。各地には日本人宿という日本人専用の宿もあり、数回理由があり泊まった事はあるが、積極的にそこに行こうとは思わなかった。旅のスタイルはそれぞれだから、そこを泊まり歩く事は本人次第だけど、私にとっては違うな、と思った。嫌なのは、まあどの国に人でも多少はそうだとは思うけど、日本人は特に、一人では積極的になれないのに、集団になると強気になれてしまうということ。それが旅の思い出になる人はそれでいいし、別に悪いとは思わないけど、違う土地でこんな風にしてきたんだぜーってしゃべる姿が目に浮かぶ。そしてそれについて強気で正直なことを言ってしまうならば、とても恥ずかしい。

ただもちろん旅の途中で出会う日本人に会っても、無視する事もないし、会えたら嬉しいと思った。ちょっと矛盾しているんだけど、やっぱりたまにすごく日本語で沢山しゃべりたいなと思ったし。私が出会えた人たちはみなとても色々な素敵なストーリーがあったし、そう考えると、私が嫌っているたぐいの人たちも、もちろんストーリーがあるんだろうなと思うけど、そこがどうしても大人になれない部分でもある。すいません。

それはともかく、とにかく全く違う国の人たちと出会い、その習慣をのぞきみることは本当に興味深いことだった。色んな国で友達ができた。だからその人が暮らしている国で何が起きているか気になるようになった。相手も多少はそうかもしれない。そういう意味でもやはり、とてもよい経験をできたんだと思っている。

今思い返してみると本当に色んな人と出会った。
アメリカで私を世話してくれた人たち、ボリビアであまりしゃべれない英語で必死にウユニを紹介してくれた観光学を学んでいる女の子、ブラジルで強盗にあったあとすぐにお金を与えてくれた工事現場の人たち、その強盗のことを話したら「そいつらは地獄に堕ちるから大丈夫、あなたは悪くないよ」と言ってくれたベルギーのカップル、またまた英語ができないけどチリに住んでいる友達をアルゼンチンのホテルで教えてくれた女の子たち、パタゴニアで嫁に来ないかと言ってきた船の運転手、その船の客で私の写真をなぜか撮りまくっていたポーランドの男性、ほんとに強くて素敵な元モデルのチリのホステルの経営者の女の子、ペルーの偽札騒動を解決した旅行会社の男子、私が1人なのを気にかけてガラパゴスで食事に誘ってくれたおばあさん、湖周辺の集落を行き来する軽トラの荷台で車酔いしちゃった現地の少女、メキシコで毎日車で迎えに来て観光案内をしてくれた友達とその伯父さん、モロッコで客引きするはずが私がお金がないのを知ってコーラをおごってくれたおじさん・・・・・この辺でやめておこう。

色んな国の色んな人たち、やっぱりどこへ行っても、優しい人がたくさんいた。沢山の人に助けられた。だから極端でとても偽善的に思うかもしれないけど、出会った人々がこの先幸せに暮らせるといいなと本当に思う。困っている事があったら助けてあげたいと思う。沢山の人、違う国の人に会うということは、世界で何かが起きた時にちゃんとその解決ができるかを見守り、時にもし出来るのならばそれを助ける事ができるということなのかもしれない。
だからもし、違う国に行って、その国を知ろうとするならば、少しでいいから現地の人と話をするという事をしてみてほしいと思ったりする。


そして最後に。やはり日本にいる人たちにとても支えられたのだと思う。家族や友達、直接私を知らなくてもブログやTwitterを見てくれていた人たち。誰かと常に連絡が取れていたから、私も帰りたいと思わなかったのだろうし、発信することとその反応があったのは純粋に嬉しかった。ありがとうございます。
また、ブログは全然進んでいないけど、最後のローマのところまで書き続けるので、同じように旅をする人のいつか助けになればと思う。

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