2017-07-09

いきなりシーギリヤロック

ダンブッラ(Dambulla)に来たのは、世界遺産でもあるシーギリヤロックを見るためだった。シーギリヤロックの近くに宿をとっても良かったのだが、有名遺跡の町の物価は少し高めだということだったので、その手前のダンブッラに来たのだった。

前日のダンブッラの町からホテルまでのトゥクトゥクドライバーが、1600ルピー(約1152円 ※100ルピー=72円)でシーギリヤロックまでの往復と、その間にある行きたいところがあればどこに寄ってもいいというプランで提案してきたので、それに乗ることにした。
本当は交渉すればもっと安く行けるんだろうけど、とはいえ結構な距離を1000円だから、まぁいいかなと。

朝7時半にホテルに迎えに行きてくれて出発。途中で見える風景をいちいち説明してくれた。なかなか面白い話ばかりだった。
カシューナッツの畑があり、実を初めて見た。緑部分がナッツでオレンジ部分はカシューアップルと言ってフルーツだ。

写真だとわかりにくいけど、中央にツリーハウスがあって、これは植えてある稲を食べに夜象がやってくるから、見張っているのだとか。そもそも象が来るって・・・!

そうこうしているうちに40分くらいで到着。到着するとすぐにガイドを雇わないかっていういろんな人が寄ってくるが、やはり断るとすぐいなくなる。
スリランカの物価を考えると、入場はちょっと高めで、30ドルまたは4620ルピー(約3326円)。

シーギリヤロックは5世紀に建造された岩の上の王宮跡。後で登ってみて思うが、こんなに登るのすらしんどいところに、王宮を建てるとは、なんとも信じがたいことだ。そして1875年にイギリス人によって発見されたそうだ。こんな今でも何もない場所に、もっと何もなかったであろう時に、王宮を発見したことを想像すると、相当な喜びだっただろうなと思った。

チケット売り場のすぐ隣に博物館があり、一応そこを見学。おそらく8時半だったと思うが、国歌と思われるものが流れて、スタッフ全員が仕事を中断し歌い始めた。誰も動かないので、何となく自分も動けなかった。
博物館は発掘物の展示や、当時の暮らしの再現などがあり、さらっと見た。

そしていよいよ、シーギリヤロックに向かって歩き始めるとすぐに遠くに見えてきた。あれの上に王宮が。

近づくとやはり大きくて、驚く。岩自体の高さは約195mとのこと。

岩の間を通っていく。ここから結構きつめの階段を上り、もう少し上へ。

もっと上ると、シーギリヤレディという壁画の場所にたどり着く。その先は、王宮に向かう階段だ。超でかい蜂の巣があるらしく、攻撃が始まったら王宮にはいけないとのこと。怖すぎ

シーギリヤレディは今はもう写真撮影が禁止されている。昔はできたらしい。複数の女性の壁画なのだが、それが誰なのか何のために描かれたのか謎らしい。岩の中腹に壁画があり、だいたいそこに描かせたこともすごい話である。

そこを抜けるとミラーウォールという、当時はピカピカに磨かれており、対面に描かれていた、壁画を映し出したと言われている壁がある。今は観光客の落書きでいっぱいになっており、近寄れないようになっている。

さっきまで歩いていた道がもうあんなに遠くに

このくらい遠くというと、どれだけの高さを急激に上ったか何となく想像つくかもしれないが、さらにこの後死ぬほど急な階段を上る。
そしてやっとたどり着いたのが、王宮の入り口である、ライオンの足だ。
当時は足だけではなく、頭もあったといわれており、ここの高さを考えると、どうやって作らせてんだって思った。
足はかなり大きい
さすがにさらに急な階段を見ると、上る気がなかなか起きないので、少し休憩。ここは上れない人のためにも、ベンチがあったり、ちょっと休憩できるようになっていた。

意を決して上り始めるが、怖いのと、本当にきつい。しかも暑いし、今じゃないと来れないと思ったが、日本の中年の団体旅行客が降りてきたのを見て、頑張って上った。

頂上に着くと、そこはやっと王宮跡。プールもあったり、かなり豪華だったのだろうと思う。どうやって水をひいていたのか。
もともとこんなところに王宮を建てたのは、父を殺してしまった王が、弟の復讐を恐れて逃げるように岩の上に建てたのだと言われている。当時はどのように上に上がれたのかわからないが、相当きつかったので、ここにいれば安全と思うのもわかる気がした。

そしてまた来た道を戻り、トゥクトゥクの駐車場へ。ダンブッラに帰るまで、日本のツアーで寄るような、おみやげ屋さんに寄られたりしたが、全てしつこくなかったので助かった。帰りに街中でご飯を買って帰ったが、前日のいまいちなカレーがあったため、恐る恐る食べてみると、驚くほどの美味しさだった。スリランカの食事はやはり大丈夫かもしれない。

2017-07-02

スリランカのバスは大変

コロンボ(Colombo)に到着した翌日、すぐにダンブッラ(Dambulla)という町に移動した。コロンボは最後に必ず戻るところだし、都市だからあまり長くいても意味がなかったので。

コロンボのバスターミナルから、ダンブッラ行きのバスを探す。スリランカのバスは基本的には国営のエアコンなしの1列が3席・2席に分かれている狭いバスで、かなりの長距離も走っている。民営のバスも走っているのだが、エアコン付きがあったり、なかったり、バスターミナルに入れるバスと、外でしか客を載せられないバスがあったり、結局よくわからないので、その時あるバスに乗る。

ターミナルでキョロキョロしていると警官に「どこに行きたいんだ」と話しかけられる。
「ダンブッラ」だと伝えると、乗り場まで連れて行ってくれた。そのバスはポロンナルワという、ダンブッラより少し先の場所へ行くバスで、私がダンブッラで降りることを運転手に告げてくれた。大きな荷物を乗せるトランクはないのだが、ギアの横に謎のスペースがあり(日本のバスだと料金支払いのボックスがあるところ)、そこに荷物を置かせてくれた。

バスに乗ってすぐに、一番前の席の足元のスペースが広かったので、そこに座ったら、おばあさんがそこはダメよ的なことを言ってきた。
ひたすら手を合わせる仕草をしているから、何が言いたいのかよくわからなかったけど、前を見ると、仏像の絵が飾ってあって、何となく仏像の前に座るなということなのかな?と思った。結局真相は謎。

人が集まるのを待って、出発。バスには運転手のほかに、切符切りの人が乗っていて、順番にどこに行くか聞いて、料金を徴収していく。ダンブッラまでは185ルピー(約133円 ※100ルピー=72円)。いろんな人のブログを読んでると、荷物代を取られている人もいたが、大丈夫だった。切符切りの人の気分によるのかしら。

とにかく暑い。昼間は35度くらいある。
バスは結構なスピードを出して進むから、窓全開で風が気持ちいいが、気づけば自分が土埃まみれになる。日差しが強いのと、席が狭く、普通に座っても隣の人と触れる状態になるのが余計に暑い。道は舗装されてるから問題なし。
しかし今までいろんな国で様々な恐ろしいバスに乗ったので、これくらいどうってことはないじゃないか、と思い始める。

バスの中の様子を見ていると、面白かった。
立っている人の荷物を座っている人が、知り合いでもないけど持ってあげるシーンが何度もあった。子供がお年寄りに席を譲ったり、人がたくさん乗ってくると、もう少し奥に入ってと自然に誰かが声をかけているようだったし、何もかもが自然で、きっとそういう国なんだろうなと思う。

途中で休憩が入り、15分くらいして、さあ出発だと走り出したその瞬間。大きな「パン!」という音がして、プシューと、間違いなくパンクした音がした。
男性陣が皆外に出てあーだこーだと見物し、女性陣は面倒くさそうに中で待機。
30分くらいかけてスペアタイヤと交換して、再度出発。どうなるかと思った。

パンクを直す時間も合わせて、だいたい4時間くらいでダンブッラに到着した。到着した場所ですぐに、ホテルまでトゥクトゥクに乗る。
ミスをして、町外れにホテルを取ってしまったのだった。歩くと1時間くらいの距離を300ルピー(約216円)。バスの安さとトゥクトゥクの高さよ・・。

ちなみに、スリランカでホテルの人に聞いたりしてだいたいこうであろうという相場は、歩いて1時間くらいかかる距離は300ルピー、10分-15分くらいの距離は100ルピー(約72円)、バランスおかしいけど、100ルピー以下で乗せてくれない感じ。もっと交渉すれば違うとは思うが。地元の人はもっと安く乗ってると思うけど、観光客価格はこのくらいだと思う。

だいたいGoogle mapで事前に歩いて何分かかるか調べておいたり、maps.meというアプリはオフラインでも調べられるので、おすすめ。最初に旅した時は、こんなに便利ではなかったよな、と思う。

ホテルについて、さあ早速町の中心まで行ってみようと思ったのが、大きな間違いで、往復2時間もかかるわけだから、相当疲れた。
町以外の場所が本当に田舎。

突然現れる洋服屋

スリランカの言葉は読めそうにない。

町の中心まで来たが、何かあるわけでもなく。帰りにライス&カレーを食べて帰った。正直ここのライス&カレーがスリランカで食べた中で一番いまいちで、しかもすごく辛くて、最初にこれを食べたものだから、スリランカの食事が不安になった。

2017-06-28

新たな旅の始まり

6月11日
成田空港からスリランカのコロンボへ出発。

1回目の世界一周の旅は不安ばかりだった。自分との約束事のような形で出発して、出発する時もずっと緊張していた。アメリカ行きの片道切符しか持っていなかったから、空港でいきなり止められて、一悶着あったが出発できた。

2回目の世界一周の旅はやり残したことをやりに行くみたいな感じがした。しかもかなりの低予算で、節約して値切ることに意義があった。そしてこの時は世界一周の航空券を使って旅をした。

3回目の世界一周、今回の旅は、油断はしてはいけないと自分に言い聞かせながら、かなりの平常心で。世界でいろんなことが起き続けている中、いろんな人を心配させながらも、趣味の旅行として出発した。そして今回はビジネスクラスの世界一周航空券を使う。変なプレッシャーや、貧乏しなくていけない気持ちも捨て(普通の旅行よりはだいぶ低予算だけど)、もっともっと楽な気持ちでいこうと思ったから。
ちなみに世界一周のビジネスクラスは相当お得な値段設定になっているため、時間さえあればすごく使える周遊券だ。

家族やパートナーに見送られて、そういえば最初に見送られた時から、家族が増えた。
いろんなことが変わっていく、でもなんか楽しいと思うことが増えたと思う。

初めて乗るビジネスクラスは、最初からシャンパンが出て、逆に自分が乗っていい感じがしなかったから、変な緊張をした。

最後まで屋上から見送ってくれているだろう、家族を窓から見続けて、飛び立つ。
ビジネスクラスの感想は、正直いまいちであった。乗っている人の中でも当然クラスがある。最上級のクラスの人が最初にオーダーを取られて、私は一番最後。それは航空会社によってはあるから、いいんだけど、そのままオーダーを取られずコース料理のメインが届かないということがあった。わざとなのか、忘れていただけなのか、前菜で既にお腹いっぱいになっていたので、声をかけて、もらうほどではなかったが。それ以外にもいろいろ不満に思うことがあり、なんだか違和感しかなかった。足伸ばして乗れるというだけでもだいぶいいんだけどね。
(後日別便に乗るが、変なことはなかったので、この便の時だけおかしかった気がしている)

約9時間半でスリランカのバンダラナイケ空港に到着した。

スリランカの旅行は、どんな場合でも事前にビザを取る必要がある。
このサイトから申請するだけで実に簡単。35ドル(約3920円 ※1ドル=112円)かかる。
http://www.eta.gov.lk/slvisa/visainfo/apply.jsp

しかもカード決済した瞬間に、ビザが取れました、という連絡がメールできた。
お金を払えばいいだけなのか。

入国審査は何も聞かれずパスポート出したら、すぐに入国のスタンプが押された。

旅で一番好きなのは、飛行機から降りて、空港の外へ出て、その国独特の気温、湿度、匂いを感じる時だ。何か新しいことが始まる感じ。
スリランカは暑く、夕方でも30度くらいある。外に出た瞬間に熱気がきて、やっと始まったなという感じがした。

スリランカの首都はスリジャヤワルダナプラコという全く名前を覚えられない町である。
そこは観光という意味では何もなくて、一番栄えているのはコロンボ(Colombo)という町だ。

まずはその町に行き、翌日別の町に移動する予定だ。

空港は郊外にあるので、コロンボまでバス。
事前に調べた情報によると、国営のバスが出口を左に進んだところにあると書かれていたから、とりあえずずっと進んでみるが、それらしきものが見つからない。
近くの人に聞いてみると、3人がかりで一生懸命答えてくれて、なんだかこの国の旅は大丈夫そうだと思った。

結局バスは空港の出口の真ん前から出ており、多分民営のバスなんだけど、120ルピー(約86円 ※100ルピー=72円)だった。国営とそこまでの差がない気がした。

約40分くらいでコロンボのバスターミナルの近くに到着。とにかく暑い。

スリランカはインドに近く、似ているところがあるのかと思い、勝手なイメージで客引きがしつこかったり、とにかくいろんな人にしつこく絡まれるのかなと思っていた。

バスを降りて、ホテルまで歩いていく。
誰も声をかけてこない。たまーに、トゥクトゥクの人が乗るか?的なクラクションを鳴らしてくるけど、首を振るとすぐいなくなる。
人々の視線がこっちを向いていない。おかしい、思っていたのとは違う。私の想像では、いろんな誘いを一生懸命断りながら、ホテルまでたどり着く予定だったのに。なんて楽なんでしょう。辛いのは暑いことだけだ。

難なくホテルについた。
その日は何もせず、翌日からスリランカの旅が本格的に始まる。



2017-06-09

終わりは始まり

ザンジバル(Zanzibar)を後にして、この旅最後の地であるニューヨーク(New York)へ向かうため、飛行機を乗り継ぎ、乗り継がなくてはいけない。
まずザンジバルからケニアのナイロビへ。途中のモンバサで一度入国審査をしなくてはいけなかった。ケニアは飛行機の乗り継ぎでもビザが必要だ。20ドル(約2,100円 ※1ドル=105円)
審査で通されたカウンターがトランジットビザが品切れだと言って、隣の隣のカウンターに職員に誘導されて通された。それを横入りと勘違いしたおばさんが私のリュックを思い切り引っ張る。
私はかなり驚いたと同時に腹が立ったが、周りでそれを見ていた人たちが一気にそのおばさんに文句を言ってくれて、少し気が晴れた。私はできるだけ冷静に、その人に事情を説明して、あなたはとても無礼なことをしていますよ、と伝えた。ムカついたから。いきなり暴力はダメだろ。

ビザにはサファリで見られる動物たちが描いてあって豪華、ほんと無駄な20ドルだと思ってたけどなんか許せた。そしてまた飛行機に戻り、ナイロビへ。
ナイロビの空港は工事中で、くつろげるスペースがほぼなかった。チェックインカウンターに入るには早すぎるということで、入れず、仕方なくベンチでずっと待つ。持っていた映画を見たりして過ごした。wifiもないし、辛すぎた。

やっとチェックインの時間になり、ロンドン経由でニューヨークへ。アメリカでは預け荷物に指定の鍵しかかけられない。私はその鍵を持っていないので、チャック部分をテープでぐるぐる巻きにした状態で入ろうとした。
本来ならばチェックインカウンターに入る前に荷物検査が目視であるため、カバンを開けなくてはいけなかったんだが、またテープを巻くのが嫌すぎて、スタッフにお願いしたら、なぜかチェックなしで通してくれた。こういう時の外国人の「ないしょよ」みたいな仕草が好き。いや、ほんとはダメだと思うんだけど。

そして深夜の飛行機でナイロビからロンドンへ。早朝着、飛行機に乗りすぎて辛くなってきていた。そしてそこからさらにニューヨークへ!
2011年この旅が始まった場所に再び戻るのであった。

ニューヨークに到着する前、機内では現地がマイナス7度であるということが伝えられた。しかも吹雪で、到着してからわかったのだが、ほとんどの飛行機が欠航している状態であった。到着して、あまりに寒くて、ジャケットはナイロビに置いてきてしまったし、薄いフリースだけで死ぬかと思った。

自分に雪が積もりながら、どうにか宿間で着き、急いで持っているだけの暖かい服を着た。ニューヨークは3日だけ。世界一周航空券の性質上、東か西周りで一周するのが原則なので、必ずアメリカのどこかを通らないと日本に戻れなかったから、あえてスタートと同じ場所を選んだ。

寒すぎてやる気が出ないし、どうやって過ごそうかと思っていたら、高校卒業ぶりの友達から、現在ニューヨークに住んでいるということで、会おうという誘いが来た。正直外に出るのが辛いから迷ったが、これは何かの縁だと思い、会いに行った。

その前に初めてニューヨークに来た時、ものすごく感動したタイムズスクエアに行ってみた。
雪が逆にいい感じに!しかし私は防寒具がフリースしかありません。

この階段は観光客で賑わう場所なのに、もう大変なことに。

友達の家はこの近くだった。
会う前は緊張していたけど、奥さんとともに迎えてくれて、卒業ぶりに会うけど、話が尽きなかった。本当に久々の本当の日本の味に感動して、遠慮することもなく食べたいだけ食べさせてもらい、また、多分私は旅のリアルな話を誰かにたくさん話したかったのかもしれない、と思うくらいたくさん話していた。
ビールを多分1ケース開けていたと思う。そして案の定、酔って動けなくなり泊まらせてもらった。なんということだろう。

優しくしてもらった時、そのことをどれだけ自分が喜んでいるか、本人に伝えるのはとても難しい。難しいと思っているうちに、それが伝えられなくなってしまう時が来ることもある。旅中に出会った人に再び会うことは、ほぼないであろう。自分がそのことを相手に同じだけ返せなくても、他の誰かを助けること、というかそういう気持ちに自分がなること、そして本当に何かを相手のためにできること、そういうことをやっていける人でありたいと思う。

翌朝起きると当然のように二日酔いだったが、すごくよく眠れたから気持ちはすっきりしていた。快晴で、遠くに見える川が凍っているのがわかった。
そしてありがたいことに、ダウンコートを貸してもらった。これを着て日本に帰っていいと言われて、本当に助かった。楽しい夜だった、朝も奥さんとゆっくり話をして、さよならした。

飛行機が長かったからか、アフリカとの違いすぎる具合に驚くことはなかったが、コートを借りていてもとても寒かった。

つららが大変なことに

ニューヨークでは、ただふらついて、美術館に行ったりミュージカルを見たり、なんだかこれで最後だと感傷的になることもなかった。すでにザンジバルで最後だなって思ってたからかもしれない。

夜は、前に来て美味しかった中華屋に行ってみた。隣のグループが日系企業のニューヨーク勤務の人たちで、その中の1人だけ日本人の人がいて、なんだからいろいろ話しかけてくれ、とにかくたくさん料理をもらった。自分が頼んだものが食べきれなかった。
7ヶ月の旅を終えるところなんだという話をしたら「congratulatins!!」と言ってくれて、少し嬉しかった。めでたいことなのかはよくわからなかったが、無事であったことは良かったことだ。

そしてあっという間に帰国

空港には家族と友達が来てくれて、嬉しかった。相変わらず私が黒くなりすぎているので、反応を見るのが楽しかった。

ニューヨークの最後の夜、一体どれくらい、何カ国旅したのだろうと思い数えてみたら、477日47カ国だった。元々の夢が1つ叶った、叶えたと思った。本当に最初のきっかけにたちもどると、いつまでもつまらない昔の自分に縛られていたところから、それを脱却したと思った。新しい人生が始まる気持ちだった。世界一周したから何かすごいということはないけれども、たくさんの経験をして、それはきっと何かに役立っていくのだろうと思う。

ニューヨーク滞在:2014年1月21日〜24日


あとがき的なもの
2011年から始まり、2014年に終わった旅を、2017年になってやっと書き終わった。当時つけていた日記やメモを元に書いているから、おおよそ忠実な気持ちを書いていると思う。大きな目標だったことをやり遂げた感は確かにあった、あったんだけれども、なぜかまた2017年に新たな旅に出ようとしている。
旅に出たから変わったことはたくさんあった。とにかく引き出しが増えていることで、いろいろな場面で役に立つことが多かった。また意見の言い方やそもそも言わなくてもいいと思っていたことをそのままにしないとか、そういうこともいろいろな部分で役にたった。その二つが大きく今までとは違うと思った。
そしてまたなぜ旅に出るのか、考えてみたけれど、これはもはや立派な趣味になったのだと思った。思えば私はそれまでツアーを取らずに旅行するなんて考えたこともなかった。でも今は自由なほうが楽しい。あとは単純に見たい、知りたいと思うことも増えたからというのはあるけど、それも趣味の話である。
今まで散々生きる目的があったほうがいいと、自己啓発的な意味で言われてきたけれど、そんな重いものではなくて、私は自分の信念がぶれない生き方ができれば、あとは楽しくしていたい。それでいいじゃんねって最近思えたので、また行ってきます。

2017-06-08

タンザニアまとめ(食べ物・おもしろかったこと)

タンザニアまとめ続き

◼︎食べ物
自炊できる宿がほぼなかったことと、外食の方が安いという現象が起きたため、結構外食した。

ザンジバルピザ。別記事にも書いたけどお好み焼きっぽいもので食べたらはまる。美味しすぎて、作っている手順をメモしたくらい。具にもよるけど2000シリング(約132円 ※100シリング=6.6円)で何か具が1つは入っているものを食べられる。トマト&チーズがお勧め

ヌングイのマゴロゴロロッジから海辺まで行く間にある小さい飲食店のいろいろな食べ物もかなり気に入った。どれ食べても3000シリング(約198円)一番はチャーハンとその横の漬物

魚のスープ。見た目はワイルドだが、ライムを絞って、このみで唐辛子を入れる。これもまた食べたくなる味

ザンジバルでしか見たことがない、アザミコーラ。普通のコーラに近い味なんだけど、なぜか癖になり、しかも安いし、毎日のように飲んでいた。500シリング(約33円)。水が1000シリング(約66円)なので水より安い。

写真はないんだけど、毎日のようにマンゴーを買って食べていた。大きいの1つで500シリング(約33円)。キューバで泊まってたところのおじさんが、毎日マンゴーをくれて、何だかそれを思い出した。

◼︎おもしろかったこと
・目があうと挨拶
通りすがりに目があうと微笑み、微笑み返されるとか、人によっては声をかけるというのは特に外国ではよくあることであるが、タンザニアのその率はすごく高い気がした。特に声をかける率、「ジャンボ!」と皆元気よく言ってくる。そういえば挨拶ってどの国も発音しやすいような気がする

・マサイ族がいろいろなところに
ンゴロンゴロの中で遊牧していたマサイはわかる。都市部に出稼ぎ的に来ている人もいるのも知ってるけど、何だか衣装着て歩いていると違和感があった、しかもザンジバルでたくさん見たし。
ストーンタウンには日本語ぺらぺらのみのると名乗るマサイの人がいて、なんだかんだで彼から土産物を買ってしまった。
街に来ているマサイは、遊牧しているマサイから見たらどう見えるのだろう。ヌングイからストーンタウンへ帰るバスでマサイがのっていて、混んでいるのに誰もその隣に座らなかった。どっちの意味なんだろう、座りたくないのか、座ってはいけないのか

・ザンジバル島とイスラム教
タンザニアの内陸はキリスト教、ザンジバルはイスラム教が多い。wikiによると、アフリカ大陸の貿易の拠点となったザンジバルでは、もともとムスリムの商人も多く来ており、それに魅せられて改宗した人ももちろんいるのだが、ムスリムはムスリムを奴隷にしないと決まっていため、奴隷にならないためにイスラム教を信仰したというのがあるらしい。
いろいろ読んでいるとなかなか面白い歴史背景がある。


タンザニアまとめ(宿泊・交通)

タンザニアのまとめ

◼︎宿泊
・ムベヤ(Mbeya)
Matamba Motel
値段:シングル 20,000シリング(約1,320円 ※100シリング=6.6円)
基本情報:シャワートイレ共同、wifiなし
その他:バスターミナルに併設している宿で、アルーシャ行きが早朝のため宿泊。かなり汚くてシャワーを浴びれなかったので、もう少しお金を出して周辺ホテルに泊まるのもあり

・アルーシャ(Arusha)
Meru House Inn
値段:シングル 30,000シリング(約1,980円)
基本情報:シャワートイレ部屋についてる、wifiなし、キッチンなし、レストラン併設
その他:併設されているはずだったツアー会社はもうない。紹介されるツアー会社とは、よく交渉して望む方が良い。バスターミナルからはタクシーで3,000シリング(約198円)

・ストーンタウン(Stone Town, Zanzibar)
Flamingo Guest House
値段:シングル 30,000シリング(約1,980円)
基本情報:シャワートイレ共同、wifiなし、キッチンなし、朝食付き
その他:空港からタクシーで15,000シリング(約990円)、周辺にインターネットカフェあり、ヌングイ行きダラダラ乗り場まで歩いて行ける距離、特に不自由なく過ごせる場所でオススメ

・ヌングイ(Nungwi)
Magorogoro Lodge
値段:テント泊 24,000シリング(約1,584円)
基本情報:シャワートイレ共同(お湯でない)、wifiなし、停電が多く充電もあまりできない、キッチンあり
その他:ヌングイの有名な安宿、テント以外も宿泊可能、ダラダラ停留所から10分くらい、近くにスーパーあるが結構高いため自炊より外食の方が安いかも


◼︎交通
ンカタベイ(Nkhata Bay)、マラウイ(Malawi)
↓ バス 800マラウイクワチャ(約200円 ※100マラウイクワチャ=25円) 約1時間
ムズズ(Mzuzu)、マラウイ(Malawi)
↓ バス 2,500マラウイクワチャ(約625円) 約4時間ただし出発まで1時間待ち
カロンガ(Karonga)、マラウイ(Malawi)
↓ バス 値段忘れた 約1時間
ソングウェ(Songwe)、マラウイ(Malawi)
↓ 徒歩
国境越え
↓ バス 5,500シリング(約363円) 約3時間
ムベヤ(Mbeya)、タンザニア(Tanzania)
↓ バス 65,000シリング(約4,290円) 約26時間(故障、ガス欠待機時間含む)
アルーシャ(Arusha)
↓ 飛行機 172ドル(約17,200円 ※1ドル=100円) 約40分
ストーンタウン(Stone Town)、ザンジバル(Zanzibar)
↓ バス 2,000シリング(約132円)約1時間30分
ヌングイ(Nungwi)

夏の終わり 再びストーンタウン

ヌングイ(Nungwi)から再びストーンタウン(Stone Town)に戻ってきた。宿も最初に泊まっていたところと同じところだ。やはりこの街の雰囲気が好きだと思う。

ストーンタウンの街中には変わったデザインの扉が多々あり、それはザンジバルドアと行ってこの島特有のものらしい。
これは何か特別な施設の建物ではないけど、このくらい重厚なものが町中にある。
とにかく町が入り組んでいて本当に面白い場所だ。そして夜も1人で歩けるくらい安全。遅くなりすぎなければ、子供や女性も外で過ごしている。


ザンジバルは東アフリカの奴隷貿易の中心となった地でもあり、今でも奴隷を売買していた施設が残っている。入場は6000シリング(約396円 ※100シリング=6.6円)

外側は教会に見えるが、中に入ると地下は奴隷が滞在していた場所として残っている。

すごく狭い部屋だが、ここに75人いたとか書いてあった。
アウシュビッツを見学した時にも思ったのだが、こういう人間としてやってはいけないことというのを学ぶと、こういうことが2度と起こらないようにと思うし、自分はやらないだろうと思う。
それでも例えば戦争になったり、自分が追い詰められてやらざるをえない状況になったら、もしくは洗脳状態になるとか。それは今後あり得ることであり、決して許されないことではあるが、そうなるかもしれないと思うと、気持ちを強く持ち続けなくてはと思った。

あたりが少し暗くなると海辺の広場に徐々に人が集まってきて、屋台が始まる。ちなみにこの広場にはなぜかwifiがある。

ヌングイで再会した2人がザンジバルピザを絶対食べた方がいいというので食べに行った。
英語を少ししゃべれる人と、全く喋れない人とのコンビが店員さんで、2日連続通ったら求婚された。外国の人のよくあるギャグ。
ザンジバルピザは日本でまた食べたいくらい美味しかった。薄いお好み焼きみたいなもんで、ソースがケチャップだから、味は変わるけど、粉物が好きであれば絶対おいしいと思う。

さらに暗くなると、人が集まってきて、皆広場で雑談をして、子供も走り回っている。宿まで帰る道のりで、たくさんの見知らぬ人に挨拶をされ、それがとてもよい雰囲気だった。夏が終わりそうな時に吹く、涼しい風が吹いているように思った。石の建物と、少し薄暗い街と、全てが本当に好きで、今この瞬間の心地よい感じをいつか日本で思い出せるといいなと思った。
アフリカの旅が終わる。最後がここでよかった。

ストーンタウン滞在:2014年1月9日〜11日、18日〜20日

ヌングイに疲れてくる

ヌングイ(Nungwi)で初日に教えてもらったご飯のお店のチャーハンが本当に美味しくて、他のも美味しいんだけど、毎日のように通っていた。カレー風味のチャーハンに、横についていたピリ辛の漬物みたいなものが絶妙な味であった。お米の入荷がないと、魚をぶっこんだスープになるのだが、それもまた美味い。

もう1つご飯の店があり、そこは日替わりで、オムレツらしきものやスープらしきものを食べられるのだが、なんとも見た目から料理の名前を出すのが難しい。そして使用した皿をバケツで洗っては次にまた使うので、衛生面ではあまりよろしくない感じ。私は大丈夫だったが、ヌングイで再会した人が猛烈な腹痛になっていた。

再会した2人が去ってからは、1人でゆっくり過ごしたかったのだが、海辺に行くと必ず誰かが話しかけてくる。女性が1人でいる人がほぼいない、ナンパなのかただ話し相手なのか、とにかくやめてくれと言っても、必ずそこに居座るのである。

日本人といるときは、彼らが男性だから周りも声をかけてくることはないし、日本人特有の空気を読む力で近くにいるけど放っておいてくれるので、その時の方が休まった。
海にいたいのに、いると話しかけられてめんどくさいから、やがて宿のハンモックで1日を過ごすようになり、あんなに好きだったご飯の店でも、今日もスープかよ、と気分が上がらない日もあった。

そんなわけで、ヌングイは好きだけど、程よい距離をおいてくれる誰かと行くのが良いのかもしれない。

それでも毎日海を見て、ハンモックで寝て、ダラダラして、夕日を見て1日が終わる日々というのは、とても贅沢で、こんな日はもう当分来ないであろうと思っていた。

こんなに海がきれいなんだから、潜ったらどうなんだろうと、シュノーケリングをしたかったのだが、なかなか朝方の天気が優れずに結局海の中を見ることはできなかった。

シュノーケリングが中止になった朝、海を散歩すると、潮がひいていて、不思議な光景が広がっていた。

女性は海藻をとり、男性は船を直していた。


塩湖みたいだ。シュノーケリングは残念だったけどこの景色を見れてよかったと思った。

しかしヌングイは本当に美しかった。
宿の人は程よく放っておいてくれて、居心地がよかった。兄弟と、そのいとこなのか若い男女が2人いて、その友達も1人いて、宿泊者より宿の人が多い時もあったけど、いい場所だった。

ここで私がアフリカでずっと使っていたテントをあげてきた。誰かが使っているのだろうか。
最後はバス停まで送ってくれて、「さよなら」ではなくて「またね」と。10年後に家族を連れて来いと、よくある旅のさよならの仕方だ。

またダラダラ(ミニバス)に乗って、ストーンタウンに戻った。アフリカもあと少し、旅もあと少し。

ヌングイ滞在:2014年1月11〜18日