2013-02-14

古都トレドへ行く(前半)

マドリッドからバスで1時間くらいの古都トレド(Toledo)へも足をのばした。トレドの旧市街は近代化しておらず、今でも石造りの家や城壁に囲まれ、世界遺産にも指定されている場所だ。

まずはマドリッドの地下鉄でPlaza Elipticaという駅まで行く。改札をでるとバスターミナルへの案内が出ているからすぐにわかるはず。駅構内にもバスターミナルの場所を示す看板があったはず(確か)

バスターミナルは3階建てくらいで、結構大きい。地下鉄の改札を出たすぐのところから入るとそのフロアにはコンビニやテイクアウトできるような食べ物を売っている店がいくつかあるので色々買ってもよし。バス旅ってなんだかお腹すいてなくても飲み物と食べ物を買うのが好き。
ここのサンドイッチおいしかった。

ターミナルがありすぎてどこからかわかんなかったけど、エスカレーターをあがるとすぐに掲示板があるからそれですぐ乗り場がわかる。なぜか全然人いなくて聞く事もできない。

チケットは券売機で購入。これに戸惑って1本乗り過ごした。片道4.98ユーロ(約498円 ※1ユーロ=100円)。チケット売り場ってどっかにあったのかなあ・・・。

なんか若干おしゃれなターミナル。ここはWi-fiがあってマドリッドの交通情報のHPがデフォルトで表示されるから、結構便利だった。

そしてバスで1時間くらいでトレドに到着。こっちのバスターミナルもがらんとしている。帰りのバスの時間をチェックしておいたほうがいい。意外と頻繁にあるけど。

外は大きく「TOLEDO」って。

バスターミナルをでて川が左手にくるようにまっすぐ進み、最初に道が別れるところで右にずっと坂をあがって行くと大きな城門があり感動。バスターミナルからすでに町が見えているけど、今からあそこに行くんだっていう気持ちが高まるような眺めだった。実際にバスターミナルからは坂をあがらなくてもエスカレーターがある入り口があったりするが、民家と思われる場所を通って行くので説明が難しい。そこまで行くのも結局坂は多少登る。


続きは後半。

2013-02-13

マドリッド散策

スペインに到着すると、中南米とは違って弱い太陽の光が印象的だった。どっちも好きだ。空港のインフォメーションで町の地図と地下鉄のマップをもらった。さすがに観光地だとなんでも揃っていて嬉しい。空港から町の中心地までは地下鉄で4.8ユーロ(約480円 ※1ユーロ=100円)
行き先によるがだいたいそのくらいなはず。ガイドブックに乗っているような中心街の地図のあたりなら、その辺はゆっくり散歩しながら全部徒歩で行けた。



プラド通りを通ってまずはプラド美術館(Museo del Prado)へ。


絵画館としては世界一を誇るらしい美術館。割とスペインを代表する画家の絵が多く、日本でも最近展示会やってたエル・グレコとか、他にはゴヤとか。正直そのくらいしか知らないけど、とにかく安らぎの場。入場料は12ユーロ(約1,200円)
3フロアに分けて展示があり、かなり広いから全部見るなら時間がかかる。そして夕方18時以降は無料で入場する事が出来る。(後で調べたら日曜は17時以降らしい)


そこからオフィス街のようなところをずっと歩いてソル(Sol)という一番中心にある駅に向かう。シーズンもあるけど観光客が多く、スリに気をつけていれば昼間は全く問題ないような場所。


ポストかわいい。


これはすごい。


やたらとハムやサラミなどスペインらしい食べ物を強調する店が並ぶ。


歩いて行くとマヨール広場(Plaza Mayor)に出た。ここでは昔、サッカーや闘牛、公開処刑まで行われていた。




壁にはよく見ると色々絵が描いてある。


周辺は古切手が売ってたり、アンティークっぽい店がちらほらあっておもしろかった。

ふらふら歩いていると近くに王宮が。外から見ただけ。


そして一番マドリッドで気に入ったのは、サンミゲル市場(Mercado de San Miguel)。マヨール広場のすぐ近くにある。


ここは市場といっても、野菜や果物が売っているだけではなく、中全体がバルになっているところがすごい。小さいお店が沢山はいっていて、それぞれ好きな場所で、ビールを買い、生ハムを買い、牡蠣を買い、と1つ売りしてくれるから、ほんとにバルのスタイルで楽しめる。1人だと普通の食堂に入ったら食べきれないから1種類しか食べられないし、老舗のバルはちょっと入りにくいなんて思ってたけど、ここは全く問題ない。しかもかなり色んな種類の食材が集まっているからどれを食べようかうろうろしているだけでもかなりおもしろかった。何を食べるかにもちろんよるけど、10ユーロ以内でお酒とつまみ何品かは余裕。


適当なテーブルでそれぞれ楽しんでいる。








まだまだ食べたいものいっぱいあった。ここは絶対また友達と来たいな。

マドリッド滞在:2012年7月5日〜8日、7月19日〜20日

2013-02-11

ヨーロッパの旅が始まる

キューバからカンクンへ飛行機で戻り、乗り換えてスペインはマドリッド(Madrid)へ出発した。
バカンス時期が始まっていたからか、カンクンの空港では入国審査から荷物を受け取り外にでるまでに並んで、並んで2時間もかかった。カンクンはヨーロッパからバカンスに来る人が多いのか、周りがそういう感じの人ですでに雰囲気はメキシコではなかった。

飛行機の乗り換えまで時間があったけどすでにカンクンを色々見てからだったから、空港でひたすら時間をつぶしていた。ちょうど妹に子どもが生まれそうだという知らせをうけていたから、メールを確認するためのWi-fiを探すのに必死だった。
ある程度時間がたち、自分の乗る飛行機が掲示板に表示されていないことに気づく。e-チケットの記載のターミナルとは違うターミナルに変更になったかもしれないと思って、掲示板を見つめていると、空港前に溜まっている空港サポーター的な人が近づいて来て、ターミナルが違うといいだした。
もはや結構時間が迫っていたから、ちょっと焦っちゃって言われるがままに、ターミナル間を移動するバスを待つが、こないからその人が用意した車に乗って隣のターミナルに移動。ちゃんと私の乗る飛行機の掲示があって、安心したところにお金の請求。そりゃタクシー的なものに乗ったから払うつもりだったけど、それが200ペソ(約1,200円 ※1ペソ=6円)。短距離を乗っただけだから高すぎると言ってみたものの、自分が手伝わなかったら飛行機に乗れてなかったんだから助かったでしょ?みたいな事を言われ、もう飛行機の列に並んでいるし、交渉と言い争いをするのが面倒に思ってそのまま支払った。これは完全なぼったくりだ。

乗り継ぎだから出国税かからなかったけど、かかってたらもうペソもってなかったし、危なすぎ。もうしょうがないと思わざるを得なくて、そのままスペインへ飛んだ。

そして7月5日昼頃にスペイン・マドリッドに到着。空港のデザインとか雰囲気がヨーロッパという感じがした。イギリスに留学していたのは約10年前だから、それ以来久々のこのヨーロッパ感に少し喜びを感じた。


スペインは大不況で失業率がその時すでに25%を超え、若者も失業率は50%を超えていた。そんな状態の雰囲気が想像つかなかったけど、行ってみると意外と鬱屈とした感じはなかった。恐らく周辺国やその他の国から観光客が来ていたから、町の中心の雰囲気=現地の雰囲気ではないということもあるから、本当のところがわからなかったというのもあるが、だいたい中心街はホームレスが沢山いてもいいし、地下鉄やバスで観光客を狙ってスリがいたり(実際イタリアなんかはスリがいると結構すぐわかる)、ヨーロッパにいた過去も含めて色々なところを見てきたから少なからず感じ取る事ができるようになった雰囲気が、どんよりはしていなかったのだった。やはりラテンの血か、なんて勝手に思っている。

南米にいた時よりは若干警戒心が薄れて、少し町歩き。










次はマドリッドの色々を紹介予定。

長かった南北アメリカ大陸の旅が終わる(雑談)

2012年12月18日成田空港を出発して初めてのアメリカ合衆国、ニューヨークへ降りたった。
初めて見たタイムズスクエアが色鮮やかすぎて心躍った。初めて海外に来たみたいな感覚だった。
そこで年越しして、フィラデルフィア、ワシントン、ピッツバーグを経てカナダ・トロントへ。ナイアガラの滝は大量のコンクリートが流し込まれているみたいにしか見えなくて、すごかった。

そこからシカゴ、移動の日が−7度で大雪、初めての長距離移動は夜行列車でニューオリンズへ。温かくて音楽に溢れていて、ご飯がおいしかった。
ヒューストンで宇宙に憧れ、エルパソでメキシコとの国境を見た、メキシコに行った後に思い返してみると、国境沿いはほぼメキシコだったな。
ラスベガスで若干カジノを楽しんで、グランドキャニオンでは静かすぎて耳が痛かった。
サンフランシスコでできた良い友達と将来を語り、シアトルでも素敵な友達ができた、初めて会ったのにお互いの家族を思いやれた。
オーランドに飛行機で飛んで、1人でディズニーワールドに入り浸り、今度は必ず姉妹でこようと思った。

夜行列車が夜中のホームに入ってくるときの遠くから響いてくる鉄道の音、夜が明ける前にひっそりカーテンから見る朝日が昇るところ、何も無い大地に夕日が沈んで、列車や色々な物の影がなくなっていく時、旅の始めだからこそそういうことがとても新鮮だった。


合衆国から急にボリビア・ラパスへ。何もかもが違っていた。今思うと朝方3時に到着する飛行機から1人でタクシーまで町のホテルまで行くなんて危ないよなあ、と。いい意味でも悪い意味でも何もわかってなかった。
町の標高が富士山くらいあるけど高山病にはかからなかったし、そこからボロボロのバスでウユニまで。
360度鏡面の世界で興奮して、高地という事を忘れて走った。
ラパスでブラジルのビザを苦労して取得して、サンタクルスへ。バスで寝てると警察が入って来て荷物チェックされてびっくりした。
そのころはほぼスペイン語もわかってなかったし、そういうことがよくある事というのもわからなかったから。
この旅のメインは南米だろうと思っていた、色々考えてみても自分の知っている知識の中から、そこがどういうところかが想像できなかったから。ラパスはとても気に入った場所だった、町行く人の顔が今でも思い浮かぶ。深い皺を刻み、違う世界で行きて来た人たちだといくことがよくわかった。


サンバの季節に合わせてブラジルへ。サンパウロから夜行バスでリオデジャネイロへ。思ったより道路が整備されていたこと、リオデジャネイロは中心部は都会であったことに驚いた。
サンバの前日からお祭りが始まっていて、有名なサンボードロモでのカーニバルよりも町のそこら中で行われているカーニバルやバンドを見ている方がおもしろかった。
そして未来みたいな町ブラジリア、海でキャンプしたレシフェ。レシフェで友達になった子達が「カーニバルが終わると新年がやってきたような気がする」と言った。
思ったより知り合った子達が英語をしゃべれて、Facebookを使いこなしていた事も意外な事実だった。
白い砂丘を見に行ったサンルイス、強盗にあったマナウス、アマゾンではハンモック吊るしてジャングルで寝た。
フォズドイグアスで見たイグアスの滝は正直ナイアガラの滝よりもずっとすごかった。自然にあれができたなんて信じられなかった。


フォズドイグアスの隣町のプエルトイグアスに普通の路面バスで国境をこえて行き、またイグアスの滝を見る。
夜中までカフェが賑わっているブエノスアイレス、世界の果てウシュアイアで1000km先にある南極を夢見た。
そこからはチリとアルゼンチンを行き来してパタゴニア地方の自然を楽しんだ。ただただすごい、自然がここまで生きていると思う事はなかった。
ウシュアイアからプンタアレーナス、プエルトナタレス、エルカラファテ、アルゼンチン最後はバリローチェだった。


バリローチェからチリのプエルトモンへ。ここまでくるともうバスで国境越えすることに驚きを感じなくなっていた。
陸続きの隣に違う国があるということ、今までに無い感覚。
プエルトモンでシーフードを楽しみ、旅中初めての泥酔、サンティアゴでは良い友達ができた。チリは人が本当に優しく、偏見のまなざしをほぼ感じなかった。
イースター島で毎日モアイ越しに沈む夕日をビール飲みながら眺め、セレナ、アタカマ、アリカを抜けてペルーへ。


プーノでは藁で浮かぶ島を訪れ、クスコで靴を作ってもらった、ペルー料理がとてもおいしいという事に気づく。
マチュピチュは言葉にならず、山から下をずっと見下ろしていた。
リマでは友達に再会、小型セスナでナスカの地上絵、トルヒーヨで偽札事件が起こるものの、素晴らしい出会いで解決された。


続いてエクアドル、色様々は街並をみて、ガラパゴス諸島へ。
見た事が無い生物たち、異様な場所にきたと思った。やはり全ての事において行ってみないことにはわからない。
キトで数日すごしてコロンビア・ボゴタへ。コロンビアは危険を感じてすぐに出国、まだ見ぬ国。


グアテマラ・フローレスでティカル遺跡、大きすぎた。
アンティグア、パナハッツェル。ずっとグアテマラの素朴さに心奪われていた。


メキシコ・サンクリストバルのまだグアテマラとあまり変わらない雰囲気、メキシコシティは余計に都会に見えた。
メリダでUFOを探したけど見つからず、カンクンが思ったよりずっとリゾート地だった事に少しがっかりした。


キューバは映画の世界だった、今思うと起こった事も街並も。
やっぱりそんなに甘くない色んな事が起きた、いやな気持ちになることも、とてもいい思い出になったことも。


約7ヶ月南北アメリカ大陸にいた。その中で南米に約5ヶ月。
それでもまだ足りない、それぞれの国でもっと見てみたいところもある。
貧しい人も多い、そうでも無い人も結構いる、いってみなくてはわからなかったこと。中南米に高いビルがあるなんて思ってなかったから。
人のパワーや魅力がすごい、自然もすごい、食べ物も結構おいしかった。行ってみると色んな事をもっとシンプルに簡単に考えてもいいのかもしれないと思う。小さな事で不安を感じたりする必要がないのかもしれないとも思う。人生観は変わらないけど、プラスの要素が沢山あった。行ってみて本当に良かったと思っている。色んな偏見や不安が足を前に進ませないのであれば、行ってしまった方が一歩飛び出してみてよかったと思うと思う。
ただ旅する時に注意する点は多々ある、でもそれを気をつけていても事件に巻き込まれる事もあるだろう。それを考えた上で行くしかない。私は何も大きな不幸なことが起きなかった事を幸せだと思うしかないと思った。

沢山のいい人に出会い助けてもらった、強盗にも会ったけど、それをカバーするくらいいい事はあった。
世の中にいい人は多いけど、数少ない悪い人が本当に悪すぎるのだろうと思うくらい。

今でもよく聞かれる質問「どこが一番よかったか」。
まだ答えは決められないけど、それはやはり南米のどこかのいつかの瞬間である。

旅はここからヨーロッパへ渡り、少しだけモロッコへ。