妹に子どもがうまれた!この旅行中にあった出来事で一番嬉しい。私もついに叔母さんに!初めての甥っこ。
私は最近までキューバに行っていた。キューバはネット環境がなく(キューバ自体にはあるけど、一般的じゃない)、出産予定日が近いのは知っていたので、連絡が取れない事が心配だった。キューバにいる間、夜中にふと目が覚めた日があった。その時、なんとなく妹に子どもがうまれたんじゃないかなとふと思ったのだった。
キューバからカンクンに戻ってきて、ずっと気になっていたから、どうにか連絡しなきゃいけない気がして、Wi-fiが使えるところを探して見つけた。メールを見ると、私がキューバにいる間に破水していたようで、本人からこれから入院するとメールが来ていた。日付を見ると、私がキューバでふと目を覚まして思った日のメールだった。繋がっている。
さらに当日のメールを見ると、他の家族から、もううまれそうだってメールがきていた。その結果がわからないまま、何もできない、いや日本にいても何もできなかっただろうけど、「がんばって」とお母さんやお姉ちゃんにメールしてマドリッド行きの飛行機に乗った。
飛行機の中では映画が1本だけやっていて、なにげなしに見ていると、ちょうど出産のシーンがあった。きっと今大変なんだろうなと思っていた。夜から朝にかけての搭乗だったけど、全然眠れなかった。
飛行機降りて、ホテルについて、パソコン開いたらもう、うまれてた。妹と甥っ子の写真、もうすっかり落ちついた後の動画もお姉ちゃんが送ってくれた。それを見たら泣けてきた、旅に出て初めて泣いた。どんな人との出会いより、どんな素晴らしい景色より感動したから。
写真だけだと妹は力を出し切った顔をしていて、当たり前かもしれないけど今までに見た事がないくらい疲れているように見えた。本人にメールしたら普通に元気だったし、もちろん赤ちゃんも元気だと言っていたので本当によかった。私はその日は携帯を持ったまま寝てしまった(まあ寝てなかったからね)。
妹との思い出が、妹が結婚したとき以上に色々溢れてきて、なんとなく色々書いてみる。
私と妹は2歳差で、私は妹がうまれた時のことを全く覚えていない。気づいたら隣にいたという感じ。だから1人で遊んだ記憶がほとんどない。
歳が近いから、本当によく一緒に遊んだ。小さい時の写真も2人で写っているものが多い。お姉ちゃんはもう少し離れてるから、今でこそ一緒によく遊ぶけど、小さい時は私が幼稚園のときは小学校、私が小学校のときは中学校という感じで所属コミュニティがいつも違っていたからというのもある。
2人で遊ぶのが楽しかった。色々なことを覚えている。私と犬のふりをして遊ぶ遊びをやろうと思って、散歩リードのつもりで、紐を自分の首に巻いて私の帰りを待っていて、間違って自分で首をしめちゃったり(大事にはいたりませんでした)。歯が固い事を私に見せようとして、ブロックを急に噛んでみせて痛がったり(今思うとよく歯が折れなかったなと思う)。お父さんと3人で野球をしたり、スラムダンクがはやった頃にはバスケットゴールを買ってもらって2人でずっとバスケしたり、ファミコンやると私が勝つのがルールで妹が勝つとケンカをしたり(今思うととても理不尽)、デパートの試食コーナーを2人で周るのがはやっていて、食べ過ぎて店員さんに怒られたり、私の同級生や妹の同級生ともみんなで沢山遊んだ。
ただ途中から少し距離ができたと思う。一度目は妹が中学生になったとき、そのとき妹の好きだったものが私は好きじゃなかった。まだ私は色々受け入れる事ができなかったから、傷つけてしまったかなと今でも思って後悔したりする。二度目は妹が大学生になった時。ただ単にお互いの時間が全く合わなくなって、物理的に会うことが減った事。仲は良かったけど、時間が足りなかった。その当時のことをあまり知らないままだ。
でもその後色々なことを経て、お姉ちゃんも含めて自他ともに認めるとても仲のいい姉妹になったと思う。全員が大人になったし、お互いがお互いを認めたからだと思う。
妹がいたから乗り越えられたことも沢山ある。まだ小学生にもなっていない時かもしれない。妹が大事にしていたガーゼタオルを、旅行中のフェリー船内に落としてなくしてしまった。当時の私は小さかったというのもあるし、性格的に知らない人に話しかけるのが本当にハードルが高かった。本当に大切にしてたガーゼタオルだから、勇気を出して船員さんにガーゼが落ちていなかったか聞いたのだった。そして見つかった。見つかったのも嬉しかったし、自分でどうにかしたという満足感を今も覚えている。妹を守らなければと思った。
中学も高校も同じ学校に行った。妹が新入生で入ってきたとき、私は最上学年なので、妹が困らないように周りに紹介した。今思うと必要だったのかわからないけど、自分的にはそれが必要と思ってたから。高校生のときは眉毛の形が気になっていたから整えてあげたり、前髪を切ってあげたり、服を一緒に選んだりした。姉らしいことをしたかったのかも。
妹の結婚が決まったとき、なんだかとても不思議な気分だった。素直に嬉しいと思ってなかったな、正直笑。嫌ではなかったし、よかったと思ったけど、なんだか寂しかった。お互いの家族の顔合せなのにお姉ちゃんと2人でビールばかり飲んで2人でずっと話してた。そんな失礼な2人を受け入れてくれて感謝だなあ。
その食事会のあと3人でカラオケにいって、歌いながら全員泣いた。今思い出すとおかしいけど、そのとき寂しさがピークだった。結局結婚しても3人でよく遊んでるけど、その時はそういう想像ができなかったから。
結婚式で私がピアノを弾く事になり、15年振りくらいにピアノを練習した。家にあるピアノは調律してなくて出ない音があったからキーボードを買って、会社の後にずっと練習した。仕事もそれなりに忙しかったけど、どうにかやらなくてはという思いだった。友達に協力してもらい、楽譜を簡単かつ重みを失わない程度に書き換えてもらい、どうにか完成した。当日は緊張しすぎたけど、どうにか弾けた。
妹はふとした時に私を助けてくれる。3月11日の地震があったあと、私が仕事の関係で京都で働かなくちゃいけなくなったとき、出発の日にまだ余震が続く中、東京駅まで1人で見送りにきてくれた。あのとき誰もが不安だったから、来てくれて嬉しかったし、よく見送りにこようと思ったなあと思った。
旅行中に私がアルゼンチンのイグアスで連絡が取れなくなったとき、ただホテルのネット回線が切れてただけだったんだけど、当然家族全員は心配に心配を重ねて、捜索願をだそうかと思っていたらしいが、妹は私の事だから大丈夫だろうと根拠もないけど自信があったらしい。心配もありがたいし、そういうふうに思ってくれている人がいるというのもありがたい、当の本人は大した事じゃないと思っていたのでなおさら。
結婚から2年くらいたったのかな?あらためて子どもがうまれて本当に嬉しい。
小さいときピースができなくて親指と人差し指でピースしていたり、背が本当に低かったからいつも前ならえ先頭のポーズしかやったことなかったり、小さいのにバスケクラブに入ってみたり、ダンスが好きでダンスのビデオを何度も再生して練習していたり、色んな事思い出すけど、もうお母さんになったんだなあ。なんか驚き。
そして早く帰って会わなくてはね、とほんとに思う。そのときまだ状態が不安定だったから書いていなかったけど、一度帰る理由の一つにこのこともほんとは入ってる。
一度帰ると決めた時、私にやりたいことやってほしいけど、一回帰ってくると聞くとやっぱり安心すると言っていた妹。いつも人の事をちゃんと考えている。いい母親なんてそれぞれすぎて言葉に表せないけど、まじめに目指さなくていいから、そのまま進んでくれればいいなと思う。母親でもない私から。
おめでとう!
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