2018-04-28

2017年の夏の記憶 多良間島

沖縄離島の中でもあまり聞いたことがなかった多良間島。
誰かの旅行記で読んで、何もなくてのんびりできるところと思って、必ずいつか行こうと思っていたのだが、ついに実現した。
今でも思い出しても、この島は本当に良かったなと思う。

多良間島は人口1,000人ちょっと。宮古島と石垣島の間にある小さな島で、いわゆる観光地化したところではない。
宮古島から飛行機で行くか、フェリーで行くかでしか行けない場所だ。私は宮古島の前半は一人で過ごし、そこからフェリーで行き、多良間島でパートナーと待ち合わせだった。多良間島で待ち合わせなんていいなと思って。

飛行機はRAC(http://www.churashima.net/rac/)から1日2便しか飛んでいない。フェリー(http://www.taramakaiun.com/)は宮古島の平良港から1日1往復で日曜日は休航。海が荒れている時はフェリーが出ないので時間に余裕がある場合には、フェリーのほうが安いからおすすめ。
多良間島行きのフェリー

フェリーの中はこれを足にしている現地の人しかいなかった。
フェリーたらまゆうの中

のんびりと2時間の船旅。運が良ければイルカの群が見れるらしい。フェリーには島の情報が載ったパンフレットや地図があり、それを読みながら過ごす。宮古島と伊良部島をつなぐ橋の下を通る。
伊良部大橋

多良間に到着すると、フェリーの時間に合わせて島内を走るバスが待っている。
多良間には宿泊も村営の施設か、民宿しかなく数も少ない。だからこのバスが停まるところの範囲で全てがすんでしまう。
見たところ私しか旅行者がいない、そんな感覚になり、日本なんだけど、全く知らないところに来たわくわく感があった。

村営の民宿である夢パティオたらまはすごくきれいで、朝夕の2食付き。多良間島には居酒屋が一軒あるだけで、そこも不定期に休みがある。夜ご飯を食べられるご飯屋さんは他に多分ない。他のだいたいの民宿も2食付きみたいだったけど、ここは大きいお風呂もあるし、ここに泊まってよかった。
夢パティオたらま

近くを少し散策してみるが、人や車の音がしない分、いつもなら聞こえてこない音が聞こえてくる感じがした。太陽が照っている音は聞こえないはずなのに、それが直に分かるような気持ちになるし、風が吹いたらそれが嫌なものすべてを持っていってくれるような気持ちの良さを感じる。何にも悪意を感じない場所、こういうところはあまりない。
多良間の街並み

翌日自転車を借りて島を一周。島は周遊しても15kmくらいだから一日あれば、いろんなところを回りながら一周できる。自転車は大徳商事さんというところで貸してもらった。夢パティオの人が電話してくれて、「今から借りにいきますから」って。それで行ったら、いないっていう。
再度電話すると、「買い物からもう直ぐ帰るから」って。あー面白い。そのくらいゆっくり過ごしたかったから、良かった。
「自転車も盗る人いないと思うけど、一応鍵ついてるから。返却は鍵ついたままでいいから、ここに停めて帰っていいからね」って。全てがゆるい。

一度は海に入りたかったから、地図をみながら泳いでいい浜辺に行く。ふる里海浜公園というところに行ってみた。遠浅の海で、本当に透明。海に入る前から、クマノミがたくさんいるのが目で見えた。
ふる里海浜公園
浅いから潜るという感じではなかったけど、浮かびながら魚をたくさん見てた。この公園はシャワーもあるから結構良い。

近くに島を見渡せる展望台があったから、登ってみたが、ほんとうに何もない。全方向だいたいこんな感じ。
展望台からの景色
自転車漕いで海入って、そのまま何も気にしないでまた走り回るっていう、小学生の夏休みみたいだ。

お昼はいくつかお店をあたってみたが、その時やっていなかったりしてありつけなかったから、スーパーで買って食べた。島の中心の集落にはスーパーが2つだけある。
事前の情報だと島だから割高だと書いてあったから、わざわざ宮古島からビールだけたくさん買って来たけど、大して値段の差はなかったように思う。

集落には島唯一の信号がある。これは子供に信号を教えるために一つ作られたらしい。
多良間島唯一の信号
集落で人に出会うと、必ず挨拶される。それがほんとうに普通のことなんだと思った。

多良間島の集落は北に寄せてあり、その周りをフクギという木で囲っている、そして道は碁盤目状になっている。これは台風から守るためでもあるが、琉球風水といって中国から伝わって来た地形を重視した考え方により、町がつくられているそうだ。
そして海へ繋がる道を「トゥブリ」と呼び、それぞれのトゥブリに名前をつけるくらい、海とのつながりを大切にしている。
確か石垣島に行った時、シーサーは海のから怪物が来るのを防ぐために海側に向けられると言っていたような。

そんな琉球の文化や、多良間独特の文化を知るためにふるさと民俗学習館へ行った。
ふるさと民俗学習館
1400年代の朝鮮の記録にはすでに多良間が出て来ており、すでに多良間と呼ばれていた足、人も住んでいた。それ以前はあまりよくわかってないみたいだった。

多良間には独特の言語があって、ムに半濁点をつけたり、とりあえず読めない。今は年配の人しか発音できないらしいが。
多良間の言語

あとはもう島を一周しようとひたすら走り続けた。やぎの遭遇率高い。
やぎ

多良間の神社

多良間ブルーと言われるくらい、海も青いし透明度が高い。
多良間の海

やっと島の半分くらい来たところで海を見ていたら、地元の漁師の人たちにつかまり、あれよあれよと宴会に巻き込まれた。
とっても豪快だった。さっき取ってきたという魚介をばんばん振舞ってくれて、お皿は海から拾ってきた大きな貝殻。
そしてこちらの飲み方の風習であるお通りをやった。一人の人が、一言言って、周りのメンバーにお酒をつぐ。入れられたら飲まなくてはいけない。飲み終わったら、その一言言うメンバーが次の人になり、また全員に注ぐ。10人くらいいたから、永遠に泡盛を飲まされて、死ぬかと思った。

彼らの話を聞いていると、島には色々な風習があり、それを受け継いでいくためのグループがあって、その組合みたいなのの飲み会だそうだ。ほとんど酔っ払って聞いていたのでもはや詳しい名前とか忘れてしまったが、ここはここで結構大変だったり面倒だったりする風習もあるなと思った。

話している言葉も沖縄本島とは違うと言っていた。みんなまだ30-50代だったけど、ちょっと方言が入るとかじゃなくて、全く違う言葉で話していた。私たちに合わせて標準語ももちろん話していたが。

あまりに飲まされるので、夕飯の時間を理由に帰ろうとしたら、夢パティオに電話して夕飯お弁当にして取っといて、と言えばいいよ。ってささっと電話されて失敗。
この島ではみんな繋がっていて、電話でなんでも完了できる。それはまた面白い。

だんだん日が落ちてきて、夕焼けになった頃、解散した。豪快な飲み会であった。楽しかった。
多良間の夕焼けはほんとうに美しかった。
多良間の夕日

たった2泊しかできなかったかけれど、この島にまた来たいと思った。飲み会に巻き込まれてあんまりゆっくりという感じではなかったが、この島の文化を受け継ぐ人たちの話を聞けたのは貴重だった。

旅をしていて国境付近の町はだいたい両国の文化が混じっていたりする。沖縄、それ以前の琉球がまさにそうで、それが少し今でも残っているから、多良間島にいるときはまるで国境の町にいるような感じがした。
日本は島国だから、完全に分断されていて、あまりそれを感じられるところはないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。

帰りは飛行機で宮古島へ。たった20分で到着した。
多良間島こそまた絶対に来ようと思う。

多良間島滞在:2017年8月4日〜6日


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