2019-12-25

ヒロと日本人移民

ハワイ島のキャプテンクックから、ちょうど島の対極にあるヒロ(Hilo)という町まで移動。車を借りていない私の選択肢はタクシーかローカルバス。値段を考えて当然ローカルバスを選択。

ちょうどマナゴホテルの前にHele-On-Bus(へレオンバス)というハワイ島を走るローカルバスのバス停がある。そもそもキャプテンクックからヒロまでタクシーを使わずに移動できるのか、というのを調べているときにバスの存在を知った。しかしホームページが日本からのアクセスだとエラーになってしまい見れないのだった。
http://heleonbus.org/

さらに調べると、パソコンや携帯の言語設定を英語にすると見れるのでそうやってやっと、キャプテンクックからヒロまでタクシー以外で行くことができるというのを確証できた。現地に行ってからならホテルで聞けばいい簡単な話だが、行く前にそもそも交通手段があるのか、というのは必ず調べるようにしている。

バスのルートマップと時刻表のPDF
http://l2lkona.com/maps/kona_map.pdf
(2019年時点での最新版のため注意)

この時刻表によるとキャプテンクックからヒロに行くには朝6時のバスしかない。というわけで、早朝まだ真っ暗な中、バスを待っていた。
本当にバスが来るのか不安になる暗さだったが時間が近くなると少しずつ人が集まって来た。

私の大きなキャリーバッグは運転手にいうと、自分でバスの下の荷物入れを開けて入れるように言われた。バスの説明には大きな荷物はプラス1ドル(約112円)かかると書いてあるが、特に請求されなかった。へレオンバスはどこまで乗っても2ドル(約224円)だ。
ローカルバスだけど内部は長距離バスの作りだったからよかった。
へレオンバス

真っ暗かった外が少しずつ明るくなって来ていた。繁華街などもないし、たくさんの人が一気に移動している気配もなく、こうやって静かに夜が明けていくんだというのがわかって、少しわくわくした。外を歩く人たちを見ていると、ヨガマットを持っている人、サーフボードを持っている人、バスには通学のために乗って来た人、釣りが終わって乗って来た人、全部ハワイ島の一部だと思うと物語を見ているかのような気持ちになった。

2時間走ったところで小休憩があり、さらに2時間後にようやくヒロに到着した。2ドルとは安すぎる。泊まるところの最寄りがHawaii Community Collegeだったからそこで降りてさらに歩いて15分くらいでやっと「民宿ヒロ」に到着。
なんだかんだでハワイ島の宿泊は高く、普通のホテルはもちろん、ドミトリーなどの安宿ですら65ドル(約7,280円)以上するのだ。

民泊の方が安いのではと思って調べていたらこの民宿ヒロを見つけた。ここは日本語の話せるハワイ出身の方がオーナーで、日本人女性が観光ビザの許す限りボランティアで手伝いをしている。だから言葉の問題は何も無い。
ダウンタウンから離れているが、車があれば全く問題ない位置にあり、私のように無い人でも自転車(有料)を借りて出かけられるので、とてもよかった。ここは44ドル(約4,928円)で個室なので本当にオススメ。

宿についてから早速、楽しみにしていたポキ丼の店に行った。Suisanという店で、なんと創業110年。名前からも分かる通り、ここはもともと日本人の移民が開業した店なのだ。昔は魚市場だったらしいが、今は市場というよりは、この店の方が目立っていた。
Suisan fish market

ハワイの日本人移民の歴史については前の記事で書いた通り。そしてハワイ島には特に多く日本人が住んだ場所があり、2つの大きな日本人町があったそうだ。一つは民宿ヒロから近く、このSuisanがあるワイアケア半島のエリア。椰子島と呼ばれていたそうだ。
しかし1946年、1960年と2回も大津波に襲われ町は壊滅。移民が営んでいた商店はほとんどこの場所から別の場所に移動してしまったが、Suisanだけはまだここで営業をしている。働いているのはほとんど韓国人だったが。

ポキは魚を細かく切るという意味があり、ハワイの言葉だ。ポキ丼はまさに細かく切った魚をご飯にのせた海鮮丼のようなもの。しかし味付けは結構濃いめで日本のものとは全然違う。
カウンターでたくさんの魚介の中から好きな具を選び丼に乗せてもらう。
Suisanのポキ丼
出てきたものはかなりのボリュームと見た目はちょっとグロテスク。2種類選ぶタイプで13.54ドル(約1,516円)。漬けマグロと普通のマグロにした。
久々の生の魚!というのでかなり美味しかったけど、漬けの味付けが濃くてちょっと飽きてしまった。後日海老マヨとハマチにしてみたが、こっちの方が飽きずに食べ続けられる。

Suisanの近くには止まった時計が置いてある。
津波時計
先ほど書いた通り、ヒロには2回大きな津波が来ている。
1960年に起きたチリ地震の10時間後、ヒロにも津波が到達すると警報は出されていた。でも遠い国チリから津波が来るとは誰も思わなかった。それからさらに5時間後、10mを超える津波が到達して、町は壊滅し61名が亡くなったのであった。半分以上がこの椰子島に住んでいた日系人だったそうだ。それが午前1時4分。
この時計を超えて津波が来て、その時から時が止まっているのだった。
どんなところでも災害は起きるし、過去の経験があったとしても、予想外のことが起きてしまうんだというのを、改めて考えた。

このエリアはホテルが近くなければ、Suisanだけ行って終わりな場所だけど、歴史を知って行ってみるといろいろ考えられて面白いと思った。


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿