ロサンゼルス(LosAngeles)を経つ日。一緒に行動していたパートナーとは空港で別れ、
私はそこからハワイ島へ行き、ハワイの島々を転々とした後、最後は日本に帰国する予定だ。
ロサンゼルスからハワイ島のカイルア・コナ(Kailua Kona)までも世界一周航空券の範囲で、ビジネスクラスだから当然ラウンジも使えると思っていた。
自分のフライトまではまだ5時間以上あったのだが、パートナーを見送り、少し空港内を散策した後はチェックインを済ませて中に入ったのだった。
しかし、ラウンジに行ってみると席はビジネスクラスだけど、世界一周航空券の場合は国内線扱いになってラウンジは使えない、と言われてしまう。
まさかそんなルールがあるとは・・・ラウンジもいくつかあるから全部回ってみたが、全て同じ説明だった。せっかくのんびりしながら待とうと思ったのに、あんまりである。
とはいえロサンゼルスの空港はかなり広くて綺麗なのでWifiも電源も確保できるし、動画を見たり仕事をしながら時が経つのをひたすらに待った。
出だしが良くないとその後もあまりいい感じに進まないというのが自分の中のジンクスで、まさにその通り、次は飛行機が遅延していた。
やることもなくなり暇すぎてパンダエクスプレス(アメリカの中華料理チェーン店)で食べたオレンジチキンを私は忘れない。
やっと搭乗時刻になり乗り込んだ後も、結局1時間くらい飛べずにいて、合計2時間くらいは遅延していたと思う。ビジネスクラスの食事は最初にアメリカンエアラインに乗った時よりはだいぶマシだった。
約6時間で到着。そもそもの予定でも21時到着という遅い便だったが、遅延のせいと荷物をとったりしていたら0時近くなっていた。
コナ空港は飛行機が到着してから直で外に出て、建物があるというよりも大きな屋根があるだけの空港だ。ガラパゴス諸島の空港もこんな感じだったのを思い出す。
外に出ると海沿い独特の湿った空気と、少し涼しい夏の夜の気温が本当に心地よく、島に来たんだというワクワクも感じた。
降りるところも乗るところも全然区切りがない感じのロビー。本当に思ったよりずっと小さいところだった。ハワイといえば日本の中では人気スポットだし、コナのことはコーヒーくらいでしか名前を聞いたことがなかったが、それなりに大きな空港があるのだと思っていたが全く違う。しかしそれは良い予想の裏切られ方だった、リゾートらしからぬリゾートの方が好きだからだ。
遅くついた場合に懸念していたのが交通手段のなさだ。
そもそもほとんどの人が車を借りるかホテルの送迎があるが、私はそのどちらもない。空港にWifiもないのでUberなどの配車サービスも使えない。
タクシーは遅い時間だとあんまり走っていないと何かの記事で読み、怖かったが、流石に最終便に合わせて数台いたので捕まえて乗り込んだ。でも本当に少なかった。
実際のところカイルア・コナというところは空港から車で15分くらいの栄えた場所の地名で、私が行きたいのはそこからさらに車で25分のキャプテンクックという場所だった。
コナのショッピング街を通りすぎ、本当に何もないただの道沿いに到着する。さすがに遠くてタクシーだけで70ドル(約7,840円 ※1ドル=112円)もかかった。
到着したのはManago Hotel
Manago Hotelは1917年に日本人の真子(まなご)さんという方が創業した食堂が始まりで、その後ホテルも開業したそうだ。
ハワイの発展と共に疫病の流行で一気に労働者を失った時期があり、主にサトウキビの栽培の労働者の確保のため1868年に日本からホノルルに労働者として移民した人たちが日本人移民の始まりだ。なんと明治元年。
その後正式に移民の協定が結ばれたのが1885年、労働条件が厳しいことと、契約上途中解約ができなかったり、仲介者に莫大な利益がいってしまったり、かなり問題があったみたいだけど、1894年に民間に移民仲介を委託することで最終的には18万人の日本人がハワイに移民としていったということだ。
真子さんもその一人で、労働者のための食堂と宿泊施設を作ったということだ。それが今でも続いている。何回か改築していると書いてあったから、建物はもちろん日本風でもなんでもないけど、そういう歴史があると思うと泊まるのも楽しかった。
その後ハワイに移民した日本人は1908年に移民に関する法律ができ移民不可になり一旦日本に帰国させられたらしいが、その土地に愛着を持っていたり、現地で家族を持った人など再移住を希望する人は戻ることができたという。
その人たちが現地で家族をまた作り、繰り返す。日系人がハワイに多いのはそういう理由だということだろう。
また、第二次世界大戦の時にはすでにハワイはアメリカとなっていたため、敵対するアメリカに住んでいることによる差別などはかなりあったらしい。
ハワイに何故日本人がたくさん行くんだろうというのは疑問であったが(確かにいいところだけど遠いし高い)、日本っぽい感じがどことなく残っていて安心感あるのかなーと、ものすごく感覚的なことだけど思ったし、最初に移民した人たちが作り上げて来たものがあるからなんだなとも感じた。
その後ホノルルに行ってほとんどの店員が日本語で対応してくるのを見て、日本人の安心感は英語を話さなくていいとか、我が物顔できるという、そっちから来ているのかも、とも思ったけど。
近くのスーパーに行ってみると、らっきょう、うめ、ガリ、一夜漬けなど当たり前のように日本食かつ日本人しか求めなさそうな味が売っていた。とりわけ日系のスーパーというわけでもなかったが、今でもこういう味がおいてあるという事は、ここでは一般的に求められているという事だ。
初めてのハワイでいきなりキャプテンクックに来てしまったが、ハワイと日本の関係をいろいろ考えられてなかなか良かった。
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私はそこからハワイ島へ行き、ハワイの島々を転々とした後、最後は日本に帰国する予定だ。
ロサンゼルスからハワイ島のカイルア・コナ(Kailua Kona)までも世界一周航空券の範囲で、ビジネスクラスだから当然ラウンジも使えると思っていた。
自分のフライトまではまだ5時間以上あったのだが、パートナーを見送り、少し空港内を散策した後はチェックインを済ませて中に入ったのだった。
しかし、ラウンジに行ってみると席はビジネスクラスだけど、世界一周航空券の場合は国内線扱いになってラウンジは使えない、と言われてしまう。
まさかそんなルールがあるとは・・・ラウンジもいくつかあるから全部回ってみたが、全て同じ説明だった。せっかくのんびりしながら待とうと思ったのに、あんまりである。
とはいえロサンゼルスの空港はかなり広くて綺麗なのでWifiも電源も確保できるし、動画を見たり仕事をしながら時が経つのをひたすらに待った。
出だしが良くないとその後もあまりいい感じに進まないというのが自分の中のジンクスで、まさにその通り、次は飛行機が遅延していた。
やることもなくなり暇すぎてパンダエクスプレス(アメリカの中華料理チェーン店)で食べたオレンジチキンを私は忘れない。
やっと搭乗時刻になり乗り込んだ後も、結局1時間くらい飛べずにいて、合計2時間くらいは遅延していたと思う。ビジネスクラスの食事は最初にアメリカンエアラインに乗った時よりはだいぶマシだった。
約6時間で到着。そもそもの予定でも21時到着という遅い便だったが、遅延のせいと荷物をとったりしていたら0時近くなっていた。
コナ空港は飛行機が到着してから直で外に出て、建物があるというよりも大きな屋根があるだけの空港だ。ガラパゴス諸島の空港もこんな感じだったのを思い出す。
外に出ると海沿い独特の湿った空気と、少し涼しい夏の夜の気温が本当に心地よく、島に来たんだというワクワクも感じた。
降りるところも乗るところも全然区切りがない感じのロビー。本当に思ったよりずっと小さいところだった。ハワイといえば日本の中では人気スポットだし、コナのことはコーヒーくらいでしか名前を聞いたことがなかったが、それなりに大きな空港があるのだと思っていたが全く違う。しかしそれは良い予想の裏切られ方だった、リゾートらしからぬリゾートの方が好きだからだ。
遅くついた場合に懸念していたのが交通手段のなさだ。
そもそもほとんどの人が車を借りるかホテルの送迎があるが、私はそのどちらもない。空港にWifiもないのでUberなどの配車サービスも使えない。
タクシーは遅い時間だとあんまり走っていないと何かの記事で読み、怖かったが、流石に最終便に合わせて数台いたので捕まえて乗り込んだ。でも本当に少なかった。
実際のところカイルア・コナというところは空港から車で15分くらいの栄えた場所の地名で、私が行きたいのはそこからさらに車で25分のキャプテンクックという場所だった。
コナのショッピング街を通りすぎ、本当に何もないただの道沿いに到着する。さすがに遠くてタクシーだけで70ドル(約7,840円 ※1ドル=112円)もかかった。
到着したのはManago Hotel
Manago Hotelは1917年に日本人の真子(まなご)さんという方が創業した食堂が始まりで、その後ホテルも開業したそうだ。
ハワイの発展と共に疫病の流行で一気に労働者を失った時期があり、主にサトウキビの栽培の労働者の確保のため1868年に日本からホノルルに労働者として移民した人たちが日本人移民の始まりだ。なんと明治元年。
その後正式に移民の協定が結ばれたのが1885年、労働条件が厳しいことと、契約上途中解約ができなかったり、仲介者に莫大な利益がいってしまったり、かなり問題があったみたいだけど、1894年に民間に移民仲介を委託することで最終的には18万人の日本人がハワイに移民としていったということだ。
真子さんもその一人で、労働者のための食堂と宿泊施設を作ったということだ。それが今でも続いている。何回か改築していると書いてあったから、建物はもちろん日本風でもなんでもないけど、そういう歴史があると思うと泊まるのも楽しかった。
その後ハワイに移民した日本人は1908年に移民に関する法律ができ移民不可になり一旦日本に帰国させられたらしいが、その土地に愛着を持っていたり、現地で家族を持った人など再移住を希望する人は戻ることができたという。
その人たちが現地で家族をまた作り、繰り返す。日系人がハワイに多いのはそういう理由だということだろう。
また、第二次世界大戦の時にはすでにハワイはアメリカとなっていたため、敵対するアメリカに住んでいることによる差別などはかなりあったらしい。
ハワイに何故日本人がたくさん行くんだろうというのは疑問であったが(確かにいいところだけど遠いし高い)、日本っぽい感じがどことなく残っていて安心感あるのかなーと、ものすごく感覚的なことだけど思ったし、最初に移民した人たちが作り上げて来たものがあるからなんだなとも感じた。
その後ホノルルに行ってほとんどの店員が日本語で対応してくるのを見て、日本人の安心感は英語を話さなくていいとか、我が物顔できるという、そっちから来ているのかも、とも思ったけど。
近くのスーパーに行ってみると、らっきょう、うめ、ガリ、一夜漬けなど当たり前のように日本食かつ日本人しか求めなさそうな味が売っていた。とりわけ日系のスーパーというわけでもなかったが、今でもこういう味がおいてあるという事は、ここでは一般的に求められているという事だ。
初めてのハワイでいきなりキャプテンクックに来てしまったが、ハワイと日本の関係をいろいろ考えられてなかなか良かった。
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