韓国に来たら必ず朝鮮戦争にまつわる場所と北朝鮮の近くまで行ってみたいと思っていた。日本人でも北朝鮮に行く方法はあるのだが、何かあったらまずいので、それは最初から考えていなくて、色々検討した結果ツアーをとって回ることにした。
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本当は板門店(軍事境界線のある青い建物のところ。2018年4月に金正恩が北の指導者としては初めてその境界線を越えて韓国に入ったのは記憶に新しい)に行きたかったのだけど、日曜と月曜はツアーが休みで、私のスケジュール的にはもう行けなかった。
なので朝鮮戦争の休戦協定で定められたDMZ(非武装地帯)を見学するツアーに申し込んだ。Veltraというサイトで65,000ウォン(約6,500円 1,000ウォン=100円)。
ソウル市内にあるホテルが集合場所だった。日本人半分、欧米系の人たち半分という感じだった。ガイドは日本語と英語の両方の人がいた。
2017年のこの頃は北朝鮮からのミサイル発射実験が相次ぎ、日本国内でもJアラート訓練が行われたりしていた。あたかももうすぐ攻められるみたいな煽りがあったように個人的には思っていた。果たして韓国から見た北朝鮮は一体どんな印象なのだろうか。
ソウル市内では地下鉄の入り口には必ずここがシェルターになる旨が記載されていた。
ツアーはソウルを出発し、1時間くらいして一番最初は一般人が誰でもいつでも入れる最も北朝鮮に近い場所に到着した。そこは臨津閣(イムジンガク)公園というところだ。
ここには自由の橋というのがあり、朝鮮戦争が終結した際に、北朝鮮側に捕虜として捕らえられていた韓国側の人たちが約13,000人この橋を渡って帰って来たところだそうだ。妻に見えているあちら側は北朝鮮である。
そもそも朝鮮戦争というのは、日本統治下にあった朝鮮半島を、第二次世界大戦での日本の敗戦により日本が撤退した後に起きた話で、朝鮮半島を新たに統治しようと旧ソ連とアメリカが乗り出したところから始まる。
1945年に北緯38度線を境に北側をソ連、南側をアメリカが占領することになったところですでに分断されてしまったのだ。1946年には北と南を現地の人ですら自由に行き来をすることができなくなり、その際に南北離れたところに住んでいた親戚や、旅行していた人などは会うことができなくなり、離散家族と呼ばれる人たちができたのである。
朝鮮戦争が終わった時にも戻ってこれなかった人たちは、今でも消息が分からないため、この一般人がこれる北朝鮮に一番近い場所では、離散家族の人たちが北側にいる自分の家族などに祈りを捧げる場所になっているそうだ。
1948年には今の韓国、北朝鮮がそれぞれ建国され、1950年に宣戦布告なしに北朝鮮(ソ連の暗黙の了解があったと言われている)が攻めていった結果、一時期は釜山まで侵略していったそうだ。今度は米国が反撃し北朝鮮を追い詰めるが、今度は中国が参戦して・・・ととにかくひどい状況だったそうだが、アメリカが原発使うぞと言って来たり、それがあってアメリカの大統領は解任されたり、結局米ソの指導者が変わり、1953年に休戦協定が結ばれたという。
結局戦争ってなんだかなぁという原因ばかりで、しかも構図が今と全然変わってないという怖さ。もちろんその間に民間人にも多大なる被害が出たし、戦争中に自分の住んでいる場所と違うところで戦っている間に帰ってこれなくなり、新たな離散家族もここで生まれている。
一番被害を受けたのは民間の人たちだとやはり思う。ガイドの人が言うには、同族であるという意識が強いため、海外から見た北朝鮮は困った存在であるしかないけれども、韓国から見ると同族の人がいる、民間の人は巻き込まれただけ、だから支援は仕方がない、という気持ちの人も多いそうだ。特に戦争を知っている世代はそれが強い。
近年では若い人は戦争を知らないから、なぜ支援をするのか、南北統一しても韓国の経済に打撃を与えるだけだという意見も増えて来ているということだった。
他にも朝鮮戦争の時に軍事物資を運んでいる時に被弾して脱線、DMZにずっと放置されていた電車も展示されていた。
またバスで移動をし、第3トンネルというところを目指す。途中で海沿いに北朝鮮が見え、韓国側のこちらの沿岸には鉄条網と見張り小屋が等間隔に建てられていた。しかしほとんど人がいる気配もなく、超警戒状態ではないと感じた。ガイドさんの話ではあるが、韓国の人はミサイル発射に慣れすぎていてもうほとんど本気にしていないと。その韓国の人から見ると日本が騒ぎすぎていると感じるそうだし、日本に向けて撃つわけがないと思ってしまうそうだ。
第3トンネルは民間人統制区域にあり、観光客は許可が必要だ。ツアーでそれをすでに取得しているため入ることができる。
このトンネルは北朝鮮が韓国を攻めるために掘っていたということが1978年になって発見された。トンネルの中の写真は禁止だった。
みんなヘルメットをかぶり、トロッコに乗ってトンネルの内部まで行く。ここは北朝鮮まで170mしかないそうだ。石炭は出ない場所なのだが、石炭を掘るふりをして掘り進めていたそうだ。地下水が吹き上がって来て発見されたそうだが、中に残されていたダイナマイトがソ連製だったことが決定づけたと言っていた。
休戦しているとはいえ、まだこのトンネルから攻めてくる可能性はゼロではないわけで、何10センチもある壁をトンネルの中に韓国が3つ作り、防いでいるということだった。そのトンネルの壁には小さな覗き窓があり、北朝鮮側が見えた。何もないとはいえ、少し怖い場所だった。
次はDMZの限界線に建てられた都羅展望台へ。
ここではすぐ真隣がDMZになる。500ウォン(約50円)で望遠鏡を使うことができ、それで見えるのが北朝鮮だった。とはいえすでにここも何は何もないから、とりわけ変わった景色が見えるわけではないのだが。
天気が良ければ農夫の姿が見えたりするらしい。ガイドさんがいうには、韓国側の国旗の高さより高くなるように北朝鮮が国旗を掲揚しているという。靄がかかりすぎて、国旗も望遠鏡ですらうっすら、という感じだったので残念。
DMZには先祖代々この土地に住んでいた人がもちろんいるわけで、1970年代に村を作り、統一村と呼ぶようになった。そういう先祖代々住んでいた人たちに戻って来てもらったそうだ。ただしかなり厳重な警備がされており、夜間に自由に外出したりすることはできないそうだ。その代わり住む者は税金と徴兵制は免除されるということだ。
写真はないが、このツアーの最後に小さな売店に寄った。そこはその統一村の産物が売られていた。
最後は都羅山駅に行った。韓国の最北端にある駅でもあるが、北朝鮮への始まりの駅とされている。平壌方面となっているが、もちろん電車は今は出ていない。
韓国側からは観光列車でこの駅にくることが出来るそうだ。
駅は結構きれいで新しい。
おみやげ屋さんがあり北朝鮮のワインが買える。ちょっと買おうと思ったけど、この先の旅が長いことを考えるとやめた。
この駅の近くには、北朝鮮の人たちに職を与えるために韓国が作った工場があり、一時期は両者共に働いていたそうだが、状況が変わるとすぐにそれが無くなったりしているという。今は工場自体が停止しているとその時は言っていた。
本当は南北が統一されたら、この電車は中国の鉄道と結合し、また、シベリア鉄道まで続く計画だったという。いつかそういう日が来るように、ユーラシア大陸をつなぐ最初の場所となるように祈りが込められているそうだ。本当にそんな電車があったらかなり乗ってみたいと思った。
ツアーの建前上の話もあるのかもしれないが、韓国はかなり北朝鮮と統一しようと譲歩を続けて来たんだなと思う。ガイドの人の雰囲気や小話も一般的な韓国の人の感覚のように感じた。同族だというとこに立ち戻るのかもしれない。同族だという感覚は自分にとってはわかりにくいなと思ったが、大切なひとと分断されたままだとして、それが1000万人いるという話ならば、簡単に見捨てることはできないのは理解できた。調べてわかる事実はたくさんあるけれども、感覚として見ておかなければ分からないことはやはりたくさんある。
都羅山駅を出ると、外で北朝鮮からの宣伝放送が流れて来た。流れる日と流れない日があるらしいが、この日は流れた。言っている意味は分からなかったけど、貴重な体験だと思った。
韓国の旅はこれで終わり、次は一体何度目になるのかイギリスへ
ソウル滞在:2017年9月30日〜10月3日
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