キューバは1週間くらいだったのでまとめを一気に。
■交通
キューバへ行く時に利用した航空会社。HPから直接購入。
Cubana http://www.cubana.cu/home/
バスはターミナルで直接購入。ハバナのターミナルについてはこちらを参照。
サンティアゴ・デ・クーバへむけて出発
■カンクン(Cancun)(メキシコ)
↓ Cubana(飛行機) 約1時間25分 141.12ドル(約11,289円 ※1ドル=80円)
■ハバナ(Habana)(キューバ)
↓ viazul(バス) 約15時間 51CUC(約4,080円 ※1CUC=80円)
■サンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)
↓ viazul 約12時間 51CUC(約4,080円)
■ハバナ
↓ Cubana(飛行機) 約1時間25分 141.12ドル(約11,289円)
■カンクン
■宿泊
泊まったところまとめ。エアコンがない家は結構殺人的に日中は暑いから泊まる前に確認した方がいいかもしれない。
■ハバナ(Habana)
Casa Sandra
Maloja No 858 Apto 2
e/. Xiffre y Plascencia
CENTRO HABANA
1泊20CUC(約1,600円)、1人部屋、エアコン・テレビ・バストイレあり。朝食・夕食は希望すれば有料で提供。洗濯機は希望すれば使用可能。キッチンを使っていい。
家主サンドラが少しだけ英語が分かる、本当にいい人たちの集まりだった。超おすすめ。
ただしオビスポ通りなどの中心部からは遠くて歩いて20分はかかる。
■サンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)
Roberlando Lopez Furcarda
Ave, Garzon No:310
Apto 4 % 1ra 2 da
Reparto:Santa Barbara
1泊20CUC(約1,600円)、1人部屋、エアコン・バストイレ・冷蔵庫あり。リビングにテレビあり。
朝食は希望すれば3CUC(約240円)で。卵料理とフルーツとパンとコーヒーとフルーツジュースで結構ボリュームある。
泊まるところにはかなり色々な電子機器が揃っていて、ノートPCやゲーム機などもあった。キューバは共産主義国だけど、結局こういう商売を見つけた人との格差はもうすでにかなりあると思った。家の装備を眺めるのもなかなか楽しい。
■食べ物
キューバに行ったらこれは食べとけってやつ。
■マンゴー(Mango)
泊まっていたところでなぜか毎日食べさせてくれた。めちゃくちゃうまい。大きいし、これだけでお腹いっぱい。日本で食べているやつなんてあっという間に超えるおいしさだった。道ばたでもよく売っている。
■アイス
色んなところにアイス屋があり、色々な味の種類と3種盛りができたりと日本のアイス屋に近い感覚で購入できる。
CUPが使用できる店でシングルで3CUP(約10円 ※1CUP=3.3円)
■サンドイッチ
これもCUPが使える店で。おいしいというか、ほんと家でつくりましたという感じ。でも他にも色々な種類のパンがあったから試してもいいかもしれない。観光客向けのちょっとした食べ物って売っていないから、こういうのを食べるしかない。10CUP(約33円)
■フリホーレス・ネグロス(frijoles negros)
キューバの伝統的なまめ料理。どんな味かと言われると表現が難しい、あまり味のない食べ物。ご飯にどばっとかけて食べる。
キューバの面白かった事については、全てのブログ記事にちりばめられているというか、全体的に不思議なことや理解ができないことがあったから、キューバ旅行記を読んで感じてほしいと思ったりする。
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2013-01-14
2013-01-12
さよなら、キューバ
ハバナに到着する前に、ぼーっと考えていた。
このままだとキューバが嫌だったという思いで終わってしまう、と。キューバは散々色んな人から「楽しい楽しい」と聞いていたから結構楽しみにしていたのが正直なところだった。いい人はとてもいい人だし、この何も発展していない国というのは実際に見てみるととても魅力的に思ったけど、やっぱり道を歩く恐怖がぬぐいきれずにいた。
複雑な気持ちが混じっていた。せっかく遠いところにきているのに楽しくなかったと思う場所があるっていうのがとにかく嫌だなという気持ちと、みんな楽しかったのに私だけなぜ楽しくなかったとなるんだろうとか、結構どっちも意地だな、今思うと。
で、モヤモヤ考えていたんだけど、結局一度リセットして何も気にしなきゃいいという結論に至った。一回そう思うと不思議なもんで、すっとした。
そんな感じでハバナにまた到着した。乗った場所と同じバスターミナルかと思いきや、見た事が無い場所だった。ここはバス会社独自のターミナルらしかった。しかし一体ハバナのどの辺なのかすらわからなかったから、すぐにタクシーに乗って、いつも泊まっているところに直行した。
まだ7時すぎだったからベルを鳴らしても反応がない。何回か鳴らして待ってみるとベランダからチュチュが顔を出していた。すっごい嬉しそうに、鍵に紐をくくりつけて下までたらしてくれた。彼がいなかったらキューバは本当につまらないままだっただろう。
そして別れの時。チュチュは「私の娘よ、いつでも戻って来なさい」と言った。本当に分かれ惜しそうにしてくれたから、ちょっと悲しくなった。私はスペイン語があんまりわかんないから、盛り上がる会話はあまりなかったけど、リビングで一緒にテレビを見たり、ほんとは夕飯を出してもらうなら有料なんだけど、「作りすぎたから食べて」とご飯をくれたり、毎日マンゴーを大量に取って来ては私に出してくれたり、とにかくいつも気にしてくれていた。チュチュよありがとう。家主のサンドラも、お手伝いさんもありがとう。この家にいる間がやっぱり一番楽しかった。
空港に着いて、チェックインして、余ったお金を両替した。
空港にはよくわからない装飾。
それにしてもほんとに1週間たらずで色々なことがあったな。考えてみると、つまんないと思いたくないというような、楽しくないと思ったのに無理に楽しいと思わなきゃいけないとか自己欺瞞的な気持ちが結局あるのね。ずっと前のどっかのエントリーに書いたように、「旅って最高!わーい!」みたいな人になりたくないから、本当に思った事書いているつもりだけど、もしかしたらどっかでそうなっていたのかもしれないとも思った。ほんとは楽しいときもあればつまんないときもあるよ、と。
さよなら、キューバ。次にくるときはきっと誰かと一緒。 Tweet
場所
キューバ ハバナ
2013-01-06
サンティアゴ・デ・クーバを行く
サンティアゴ・デ・クーバの幕開けが面白かったとはいえ、前情報がほぼ無い状態できたのと、やっぱり道を歩くのにちょっと抵抗があった。泊まるところを紹介してくれた人が1日40CUC(3,200円 ※1CUC=80円)で色んなところ連れて行ってくれるということだったから、それにのっかる事にした。
ガソリンを入れて出発。クラシックカーだから、私が知っているとこからの給油ではなく興味深かった。
ちなみに車の中こんな感じ。
最初にモロ要塞(Castillo de San Pedro de la Roca del Morro)へ。入場はカメラ持ち込みで5CUC(約400円)
世界遺産に登録されている要塞で、カリブ海沿いに建っているから見晴らしがかなりいい。元々は海賊が攻めて来るのを防ぐためにつくられたそうだ。
階段で海岸近くまで降りられる。下から見上げるとこういう感じ。
一通り見学して、また市内に戻り、7月26日モンカダ兵営博物館(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)へ。
キューバ革命について少し。フルヘンシオ・バティスタにより独裁政治が行われていた1950年代(それ以前も)のキューバ。それに反発し、反バティスタ運動を行っていた若者の中心にいたのがフィデル・カストロ。1953年7月26日にこのモンカダ兵営博物館を襲撃した。しかしこれは失敗に終わり、約半分の仲間を失い、カストロも逮捕されたのだった。
当時の銃撃の後が今でも残っている。入場料は2CUC(約160円)
中は、襲撃の様子や経路など色々な資料が置かれていて、襲撃失敗のため逮捕された反逆者たちが拷問されて殺された結構グロい写真もたくさんあった。
ちなみに革命は、その後投獄されたカストロが恩赦で出獄し、メキシコへ亡命。メキシコ潜伏中に同胞を集め、チェ・ゲバラに出会い、キューバへ再度戻った。1958年に攻撃を再開し、12月31日にはバティスタが辞任演説の後、翌日ドミニカ共和国へ亡命。1959年1月8日にカストロがハバナ入りして名実共に革命軍の勝利となった。(参考:キューバ革命)
モンカダ兵営博物館を見学した後は旧市街を車で巡った。人が多かったけど、ハバナのオビスポ通りのような観光の雰囲気はなく、地元の人で溢れていた。
最後にまた郊外にあるコブレの聖母寺(Basilica y Santuario de la Virgen de la Caridad del Cobre)へ。
周りは森という感じ。奉納するための花輪がここにくる道中でたくさん売られていた。
コブレというのは銅という意味で、周辺には銅採掘場がある。
ヘミングウェイの「老人と海」にも台詞として「コブレの聖母」というのが出てくるみたい。読み直してみよう。ヘミングウェイはノーベル賞受賞時のメダルをここの奉納したという。
他にもう1カ所寄ってくれる予定だったが、道が工事中でいけなかった。どこに行くかもわかってなかったから、いいやという。でもほんと車で周れたのはよかった。結構郊外にある見所が多いのだなと。
サンティアゴ・デ・クーバは行くのに丸1日かかるから、結局時間があったのはこの日と、出発の日の夕方までだった。出発の日は夕方まで暇だったけど、日曜で店もやってないから、出歩いてもほぼ人がいなかった。それでもやっぱりチーナと呼ばれたり、大きな道の反対側から投げキスされたり大声だされたりするから過剰に反応してしまい、食べられるものの調達もできずいた。
あまりに暇だから家に戻って家主とほとんど通じない会話をしていた。大きなテレビがあって、オリンピックの特集を見ていた。日本は柔道とバレーが強いとか、盆栽が好きだけど高いとか、そういうことを知っていたみたいで、思いのほか盛り上がった。
そろそろ迎えのタクシーがくるかなと思っていたら、黒人ではない男女の2人組が家に入って来て、いきなり家主と口論し始めた。「ええーー」と思いながら、とりあえずじっとしていた。収まりそうもないし、もしこれがこっちにとばっちりで金払えとか無謀な事言われたらどうしよう、とか思いつつ。
その時、行きからガイドから全部やってくれてた人が家にきて、普通に出発。しかも出発するときは、口論が止まり、家主だけではなくその知らない2人組もバイバイと和やかに手を振ってくれたのだった。不思議なもんだ。
今回乗るバスはと駐停車駅がない急行だった、夕方に出発して、朝の7時にハバナに到着。全て時間通りだった。
サンティアゴ・デ・クーバ滞在:2012年6月30日〜7月1日
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ガソリンを入れて出発。クラシックカーだから、私が知っているとこからの給油ではなく興味深かった。
ちなみに車の中こんな感じ。
最初にモロ要塞(Castillo de San Pedro de la Roca del Morro)へ。入場はカメラ持ち込みで5CUC(約400円)
世界遺産に登録されている要塞で、カリブ海沿いに建っているから見晴らしがかなりいい。元々は海賊が攻めて来るのを防ぐためにつくられたそうだ。
階段で海岸近くまで降りられる。下から見上げるとこういう感じ。
一通り見学して、また市内に戻り、7月26日モンカダ兵営博物館(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)へ。
キューバ革命について少し。フルヘンシオ・バティスタにより独裁政治が行われていた1950年代(それ以前も)のキューバ。それに反発し、反バティスタ運動を行っていた若者の中心にいたのがフィデル・カストロ。1953年7月26日にこのモンカダ兵営博物館を襲撃した。しかしこれは失敗に終わり、約半分の仲間を失い、カストロも逮捕されたのだった。
当時の銃撃の後が今でも残っている。入場料は2CUC(約160円)
中は、襲撃の様子や経路など色々な資料が置かれていて、襲撃失敗のため逮捕された反逆者たちが拷問されて殺された結構グロい写真もたくさんあった。
ちなみに革命は、その後投獄されたカストロが恩赦で出獄し、メキシコへ亡命。メキシコ潜伏中に同胞を集め、チェ・ゲバラに出会い、キューバへ再度戻った。1958年に攻撃を再開し、12月31日にはバティスタが辞任演説の後、翌日ドミニカ共和国へ亡命。1959年1月8日にカストロがハバナ入りして名実共に革命軍の勝利となった。(参考:キューバ革命)
モンカダ兵営博物館を見学した後は旧市街を車で巡った。人が多かったけど、ハバナのオビスポ通りのような観光の雰囲気はなく、地元の人で溢れていた。
最後にまた郊外にあるコブレの聖母寺(Basilica y Santuario de la Virgen de la Caridad del Cobre)へ。
周りは森という感じ。奉納するための花輪がここにくる道中でたくさん売られていた。
コブレというのは銅という意味で、周辺には銅採掘場がある。
ヘミングウェイの「老人と海」にも台詞として「コブレの聖母」というのが出てくるみたい。読み直してみよう。ヘミングウェイはノーベル賞受賞時のメダルをここの奉納したという。
他にもう1カ所寄ってくれる予定だったが、道が工事中でいけなかった。どこに行くかもわかってなかったから、いいやという。でもほんと車で周れたのはよかった。結構郊外にある見所が多いのだなと。
サンティアゴ・デ・クーバは行くのに丸1日かかるから、結局時間があったのはこの日と、出発の日の夕方までだった。出発の日は夕方まで暇だったけど、日曜で店もやってないから、出歩いてもほぼ人がいなかった。それでもやっぱりチーナと呼ばれたり、大きな道の反対側から投げキスされたり大声だされたりするから過剰に反応してしまい、食べられるものの調達もできずいた。
あまりに暇だから家に戻って家主とほとんど通じない会話をしていた。大きなテレビがあって、オリンピックの特集を見ていた。日本は柔道とバレーが強いとか、盆栽が好きだけど高いとか、そういうことを知っていたみたいで、思いのほか盛り上がった。
そろそろ迎えのタクシーがくるかなと思っていたら、黒人ではない男女の2人組が家に入って来て、いきなり家主と口論し始めた。「ええーー」と思いながら、とりあえずじっとしていた。収まりそうもないし、もしこれがこっちにとばっちりで金払えとか無謀な事言われたらどうしよう、とか思いつつ。
その時、行きからガイドから全部やってくれてた人が家にきて、普通に出発。しかも出発するときは、口論が止まり、家主だけではなくその知らない2人組もバイバイと和やかに手を振ってくれたのだった。不思議なもんだ。
今回乗るバスはと駐停車駅がない急行だった、夕方に出発して、朝の7時にハバナに到着。全て時間通りだった。
サンティアゴ・デ・クーバ滞在:2012年6月30日〜7月1日
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ラベル:
キューバ,
サンティアゴ・デ・クーバ
サンティアゴ・デ・クーバへむけて出発
キューバのハバナ(Habana)からどこか別の場所に行ってみようと思い、考えたのがトリニダー(Trinidad)かサンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)。どっちも行ってもよかったのだけど、キューバのゆったりした感じがそういうタイトなスケジュールを選ばせなかった。せっかくだから端まで行っちゃおうと、サンティアゴ・デ・クーバに行く事にした。キューバ革命の始まりの地とも言われている、そちらを選んだのだった。
ハバナのバスターミナル。列車でも行けるみたいだったけど、家の人にバスを勧められてバスにした。
ここにもゲバラ。
一般の人がチケットを買うところに並んでみたけど、違うと言われ、どこの窓口にいっても違うと言われ、何度も案内の人にきいてもわからなくて、うろうろしてたら知らないおじさんが連れて行ってくれた。外国人がチケットを買うのは正面入り口から入って、右にずっと進んだ左手側にある旅行会社。
出発当日の朝、バスターミナルまでタクシーで行くつもりでいた。家の人にタクシーの予約を頼んでおいたけど、急にチュチュ(家主のお兄さん)が荷物もって連れて行くからタクシーはやめたら?と提案。しかもタダでいいとのこと。タクシーに乗ったらお金かかるからと、散々私の色々を心配してくれた。
色んなところで客引きに合うから、だまされないようにと、これだけは覚えておいたほうがいいスペイン語講座もしてくれたのだった。
そんな訳でチュチュと一緒に朝7時に家を出発。30分弱歩く。私のでかいカバンをずっと持ってくれてたんだけど、キャスターがだめになりそうだといって、20kgある荷物をずっと肩に乗せていた。彼は57歳。重い、といいながら笑ってた。
そしてバスターミナル到着、チュチュに別れをつげてサンティアゴ・デ・クーバに出発。チケットはわら半紙にスタンプを押して、行き先とその日付が書いてあるだけの4センチ四方くらいの不安な感じ。旅行会社にいったら、荷物をまず預けさせられて、7:50のバスだったが8:30に出発。乗った時点でほぼ満席だったが、席に置いた荷物をどけて女性が隣の席に呼んでくれた。男性の隣が嫌だったからよかった。
途中で何回か休憩が入った。町以外の場所は潔いくらい何も無い。
バスは途中の停車駅で何人か乗って降りてを繰り返し、人が少なくなってくると、音楽を鳴らしたり、お菓子をもらったり、ちょっと楽しかった。目的地が近くなってくればくるほど、自由度が増して、誰かがコーヒー飲みたいと言えば露店に停車し、フルーツを買いたいと言えばまた露店に止まるが高すぎると言って戻って来たり、結局予定より1時間半遅れて到着した。夜中の12時半。
さて、ホテルも何も決めていない。いざとなったら、メキシコのカンクンで出会った人からもらったホテルの住所にタクシーで行けばいいと思ってたけど、さっそく客引きにあったから一応金額を聞いてみると悪くなかったから即決。
こんな車に乗った陽気なお兄さんという感じの人。本当に暑くて、窓は全開、音楽も全開、段ボールの切れ端を窓の外にだして、そこにぶつかる風が車内に入ってくる。片言の英語で「エアコンだ」って笑ってたから、サンティアゴ・デ・クーバの幕開けは面白かった。
ホテルというか、ハバナと同じく家を貸してくれる人のところにいってその日は終わった。 Tweet
ハバナのバスターミナル。列車でも行けるみたいだったけど、家の人にバスを勧められてバスにした。
ここにもゲバラ。
一般の人がチケットを買うところに並んでみたけど、違うと言われ、どこの窓口にいっても違うと言われ、何度も案内の人にきいてもわからなくて、うろうろしてたら知らないおじさんが連れて行ってくれた。外国人がチケットを買うのは正面入り口から入って、右にずっと進んだ左手側にある旅行会社。
出発当日の朝、バスターミナルまでタクシーで行くつもりでいた。家の人にタクシーの予約を頼んでおいたけど、急にチュチュ(家主のお兄さん)が荷物もって連れて行くからタクシーはやめたら?と提案。しかもタダでいいとのこと。タクシーに乗ったらお金かかるからと、散々私の色々を心配してくれた。
色んなところで客引きに合うから、だまされないようにと、これだけは覚えておいたほうがいいスペイン語講座もしてくれたのだった。
そんな訳でチュチュと一緒に朝7時に家を出発。30分弱歩く。私のでかいカバンをずっと持ってくれてたんだけど、キャスターがだめになりそうだといって、20kgある荷物をずっと肩に乗せていた。彼は57歳。重い、といいながら笑ってた。
そしてバスターミナル到着、チュチュに別れをつげてサンティアゴ・デ・クーバに出発。チケットはわら半紙にスタンプを押して、行き先とその日付が書いてあるだけの4センチ四方くらいの不安な感じ。旅行会社にいったら、荷物をまず預けさせられて、7:50のバスだったが8:30に出発。乗った時点でほぼ満席だったが、席に置いた荷物をどけて女性が隣の席に呼んでくれた。男性の隣が嫌だったからよかった。
途中で何回か休憩が入った。町以外の場所は潔いくらい何も無い。
バスは途中の停車駅で何人か乗って降りてを繰り返し、人が少なくなってくると、音楽を鳴らしたり、お菓子をもらったり、ちょっと楽しかった。目的地が近くなってくればくるほど、自由度が増して、誰かがコーヒー飲みたいと言えば露店に停車し、フルーツを買いたいと言えばまた露店に止まるが高すぎると言って戻って来たり、結局予定より1時間半遅れて到着した。夜中の12時半。
さて、ホテルも何も決めていない。いざとなったら、メキシコのカンクンで出会った人からもらったホテルの住所にタクシーで行けばいいと思ってたけど、さっそく客引きにあったから一応金額を聞いてみると悪くなかったから即決。
こんな車に乗った陽気なお兄さんという感じの人。本当に暑くて、窓は全開、音楽も全開、段ボールの切れ端を窓の外にだして、そこにぶつかる風が車内に入ってくる。片言の英語で「エアコンだ」って笑ってたから、サンティアゴ・デ・クーバの幕開けは面白かった。
ホテルというか、ハバナと同じく家を貸してくれる人のところにいってその日は終わった。 Tweet
ラベル:
キューバ,
サンティアゴ・デ・クーバ,
ハバナ,
交通
そして気を取り直してハバナを歩く
初っぱなから前記事に書いたことが起きたから、ずっと不安だったけど、傘を持っていれば大丈夫な気がして、後半は色々歩き回って楽しめた。しかしとにかく暑い。2リットルのペットボトルの水が1日でなくなるレベル。
とりあえずお勧めされたMaleconという海沿いに行ってみることに。
たまによくわからない店があったり。
町の雰囲気はやっぱり好きだなと思った。映画のセットみたいだ。
着いた!しかし別になにかあるわけじゃないから、だらだらと人を見ていた。結局私も、見られている分誰かを見てるのね。
なんかのジュース屋さん、お酒売っているようにも見えたけど。
次は観光客が集まる方へ。やっと場所が覚えられた。
人が集まる方だからか、Maleconに行く道とは違って人がすでに多い。露店みたいなのがたくさんでていた。
中心となるのはラ・ハバナ・ビエハ(La Habana Virja)地区とセントロ・ハバナ(Centro Habana)地区という旧市街のほう。旧国会議事堂であるカピトリオ(Capitolio Nacional)。
その隣のガルシア・ロルカ劇場(Teatro Garcia Lorca)。クラシックカーのタクシーも沢山止まってる。
中華街もあった。悪い意味じゃなく、世界のどこにいっても中華街とか中華料理屋ってある。
一番人が集まるのは、オビスポ通り(Calle Obispo)。作家ヘミングウェイが通ったと言われているフロリディーダというバーが通りの始まりにある。
観光客がいっぱいいた。みんなここにいたのね!なぜかちょっと安心してしまう。レストランやお土産屋が並び、活気があったが、ここは最終日にきたので、それまで見ていたキューバとは全然違っていた。それはそれで面白かった。この辺はいかにもなキューバっぽい格好をした女性たちが集まっていて、写真撮る用に待機している。キューバだから、あの民族衣装に葉巻の女性が普通に存在しているのかと思ったけど、違った。ここ以外では全く見なかった。
露店の古本屋。色んな人のブログを見ていると、ずっとここにいるみたい。観光客向けか、チェ・ゲバラ関係の本が多い。
そしてまた海にでて。
近くにあったフエルサ要塞(Castillo de la Real Fuerza)を見学してみる。なぜか無料で入れた。日本に帰ってガイドブック見てみたら、3CUC(約240円 ※1CUC=80円)と書いてあった。ハバナで一番古い要塞。
町中にいくつかゲバラやカストロの絵があったり。
冒頭に後半は楽しめたと書いたけど、怖がらずに町を歩けたのは本当に最後の2日間くらいで、あとはとりあえず食べるためと水を買いにだけに少し出歩いてあとはずっと引きこもって、家の人に日本語を教えていた。だからゲバラの家とか、その他諸々キューバにきたらいくであろう場所も行きたかったのだけど、そういう気持ちにならなかった。
しかしとてもよかったのは、結局私は1人で平気と思いながらも、完全に1人になると相当不安になるんだということがわかったことかもしれない。こんなに1人になることは他になかったな。言葉が通じなくてもどうにかなっていたけど、本当に伝えたい事がある時は困るし、どこかで誰かしら英語通じるから大丈夫でしょくらいに思っていた。前記事に書いた事件のおかげで、かなりアウェイ感が増したから、優しくしてくれようとした人も、素直に受け取れなかったかも。しかし最後の数日でそんなのどうでもいいじゃないかと思うようにもなったし、たった1週間程度だったけど、結果的によかったと思おうと思った。やはり泊まっていた家の人が、接している間にそう思わせてくれたことが大きいと思った。
ハバナ滞在:2012年6月27日〜29日、7月2日〜4日
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とりあえずお勧めされたMaleconという海沿いに行ってみることに。
たまによくわからない店があったり。
町の雰囲気はやっぱり好きだなと思った。映画のセットみたいだ。
着いた!しかし別になにかあるわけじゃないから、だらだらと人を見ていた。結局私も、見られている分誰かを見てるのね。
なんかのジュース屋さん、お酒売っているようにも見えたけど。
次は観光客が集まる方へ。やっと場所が覚えられた。
人が集まる方だからか、Maleconに行く道とは違って人がすでに多い。露店みたいなのがたくさんでていた。
中心となるのはラ・ハバナ・ビエハ(La Habana Virja)地区とセントロ・ハバナ(Centro Habana)地区という旧市街のほう。旧国会議事堂であるカピトリオ(Capitolio Nacional)。
その隣のガルシア・ロルカ劇場(Teatro Garcia Lorca)。クラシックカーのタクシーも沢山止まってる。
中華街もあった。悪い意味じゃなく、世界のどこにいっても中華街とか中華料理屋ってある。
一番人が集まるのは、オビスポ通り(Calle Obispo)。作家ヘミングウェイが通ったと言われているフロリディーダというバーが通りの始まりにある。
観光客がいっぱいいた。みんなここにいたのね!なぜかちょっと安心してしまう。レストランやお土産屋が並び、活気があったが、ここは最終日にきたので、それまで見ていたキューバとは全然違っていた。それはそれで面白かった。この辺はいかにもなキューバっぽい格好をした女性たちが集まっていて、写真撮る用に待機している。キューバだから、あの民族衣装に葉巻の女性が普通に存在しているのかと思ったけど、違った。ここ以外では全く見なかった。
露店の古本屋。色んな人のブログを見ていると、ずっとここにいるみたい。観光客向けか、チェ・ゲバラ関係の本が多い。
そしてまた海にでて。
近くにあったフエルサ要塞(Castillo de la Real Fuerza)を見学してみる。なぜか無料で入れた。日本に帰ってガイドブック見てみたら、3CUC(約240円 ※1CUC=80円)と書いてあった。ハバナで一番古い要塞。
町中にいくつかゲバラやカストロの絵があったり。
冒頭に後半は楽しめたと書いたけど、怖がらずに町を歩けたのは本当に最後の2日間くらいで、あとはとりあえず食べるためと水を買いにだけに少し出歩いてあとはずっと引きこもって、家の人に日本語を教えていた。だからゲバラの家とか、その他諸々キューバにきたらいくであろう場所も行きたかったのだけど、そういう気持ちにならなかった。
しかしとてもよかったのは、結局私は1人で平気と思いながらも、完全に1人になると相当不安になるんだということがわかったことかもしれない。こんなに1人になることは他になかったな。言葉が通じなくてもどうにかなっていたけど、本当に伝えたい事がある時は困るし、どこかで誰かしら英語通じるから大丈夫でしょくらいに思っていた。前記事に書いた事件のおかげで、かなりアウェイ感が増したから、優しくしてくれようとした人も、素直に受け取れなかったかも。しかし最後の数日でそんなのどうでもいいじゃないかと思うようにもなったし、たった1週間程度だったけど、結果的によかったと思おうと思った。やはり泊まっていた家の人が、接している間にそう思わせてくれたことが大きいと思った。
ハバナ滞在:2012年6月27日〜29日、7月2日〜4日
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キューバ ハバナ
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