サンティアゴ・デ・クーバの幕開けが面白かったとはいえ、前情報がほぼ無い状態できたのと、やっぱり道を歩くのにちょっと抵抗があった。泊まるところを紹介してくれた人が1日40CUC(3,200円 ※1CUC=80円)で色んなところ連れて行ってくれるということだったから、それにのっかる事にした。
ガソリンを入れて出発。クラシックカーだから、私が知っているとこからの給油ではなく興味深かった。
ちなみに車の中こんな感じ。
最初にモロ要塞(Castillo de San Pedro de la Roca del Morro)へ。入場はカメラ持ち込みで5CUC(約400円)
世界遺産に登録されている要塞で、カリブ海沿いに建っているから見晴らしがかなりいい。元々は海賊が攻めて来るのを防ぐためにつくられたそうだ。
階段で海岸近くまで降りられる。下から見上げるとこういう感じ。
一通り見学して、また市内に戻り、7月26日モンカダ兵営博物館(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)へ。
キューバ革命について少し。フルヘンシオ・バティスタにより独裁政治が行われていた1950年代(それ以前も)のキューバ。それに反発し、反バティスタ運動を行っていた若者の中心にいたのがフィデル・カストロ。1953年7月26日にこのモンカダ兵営博物館を襲撃した。しかしこれは失敗に終わり、約半分の仲間を失い、カストロも逮捕されたのだった。
当時の銃撃の後が今でも残っている。入場料は2CUC(約160円)
中は、襲撃の様子や経路など色々な資料が置かれていて、襲撃失敗のため逮捕された反逆者たちが拷問されて殺された結構グロい写真もたくさんあった。
ちなみに革命は、その後投獄されたカストロが恩赦で出獄し、メキシコへ亡命。メキシコ潜伏中に同胞を集め、チェ・ゲバラに出会い、キューバへ再度戻った。1958年に攻撃を再開し、12月31日にはバティスタが辞任演説の後、翌日ドミニカ共和国へ亡命。1959年1月8日にカストロがハバナ入りして名実共に革命軍の勝利となった。(参考:キューバ革命)
モンカダ兵営博物館を見学した後は旧市街を車で巡った。人が多かったけど、ハバナのオビスポ通りのような観光の雰囲気はなく、地元の人で溢れていた。
最後にまた郊外にあるコブレの聖母寺(Basilica y Santuario de la Virgen de la Caridad del Cobre)へ。
周りは森という感じ。奉納するための花輪がここにくる道中でたくさん売られていた。
コブレというのは銅という意味で、周辺には銅採掘場がある。
ヘミングウェイの「老人と海」にも台詞として「コブレの聖母」というのが出てくるみたい。読み直してみよう。ヘミングウェイはノーベル賞受賞時のメダルをここの奉納したという。
他にもう1カ所寄ってくれる予定だったが、道が工事中でいけなかった。どこに行くかもわかってなかったから、いいやという。でもほんと車で周れたのはよかった。結構郊外にある見所が多いのだなと。
サンティアゴ・デ・クーバは行くのに丸1日かかるから、結局時間があったのはこの日と、出発の日の夕方までだった。出発の日は夕方まで暇だったけど、日曜で店もやってないから、出歩いてもほぼ人がいなかった。それでもやっぱりチーナと呼ばれたり、大きな道の反対側から投げキスされたり大声だされたりするから過剰に反応してしまい、食べられるものの調達もできずいた。
あまりに暇だから家に戻って家主とほとんど通じない会話をしていた。大きなテレビがあって、オリンピックの特集を見ていた。日本は柔道とバレーが強いとか、盆栽が好きだけど高いとか、そういうことを知っていたみたいで、思いのほか盛り上がった。
そろそろ迎えのタクシーがくるかなと思っていたら、黒人ではない男女の2人組が家に入って来て、いきなり家主と口論し始めた。「ええーー」と思いながら、とりあえずじっとしていた。収まりそうもないし、もしこれがこっちにとばっちりで金払えとか無謀な事言われたらどうしよう、とか思いつつ。
その時、行きからガイドから全部やってくれてた人が家にきて、普通に出発。しかも出発するときは、口論が止まり、家主だけではなくその知らない2人組もバイバイと和やかに手を振ってくれたのだった。不思議なもんだ。
今回乗るバスはと駐停車駅がない急行だった、夕方に出発して、朝の7時にハバナに到着。全て時間通りだった。
サンティアゴ・デ・クーバ滞在:2012年6月30日〜7月1日
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なんかすごいねキューバって。。
返信削除でも、いつか行ってみるのもいいかもという気に
させてくれました。
ありがとう。。
そうですね・・いつかは行ってみるのはいいと思います。
削除私はとりあえず誰か連れてもう1回行きたいです。