2017-03-26

ンゴロンゴロ保全地域へ②

ンゴロンゴロが今まで見たサファリと異なっていたのは、カルデラの内部の平地だったから、木がほとんどなく動物をよく観察することができたことだった。本当に近くで見れた、表情とか動きとか、筋肉の付き方とか。

不思議な頭の鳥たち。

バッファローの群れ

そしてしっかりと近くでライオンをはじめてみた。今までは遠目か、草木に隠れたところしか見れていない。不思議な緊張感があった。

生もあれば死もすぐそこに。もう息絶えそうな雄ライオン。

かなり遠目だけどシロサイ。サイはほとんど見ることができないのでラッキーだった。

迫り来るゾウ。すっごい迫力あった。

実際はツアーのジープが何10台もうろついているからもっと自然感少ないけど。サファリは3回目だから飽きるかなと思ったが、他のどれとも違ってここは来て良かったと思った。

帰りは謎のお土産屋に寄らされて、1人今日でアルーシャに帰る人がいたから見送った。

キャンプサイトでは韓国人のグループ以外にもアメリカ人のおばあさんが来ていて、おばあさんすごく元気で一人だけ併設されているプールで泳いだり、楽しく過ごしていた。一緒に色々な話をした。何歳になっても健康でいればどこへでも行ける。
テントが用意されていたんだけど、そのテントが心地よすぎて、ものすごくリラックスして眠ることができた。私の持ち歩いているテントのしょぼさよ。


ンゴロンゴロ保全地域へ

アルーシャ(Arusha)に来たのはンゴロンゴロ保全地域という、カルデラの内部に平地がひろがり、そこに動物たちが暮らしている不思議な場所に行きたかったからだ。
事前に調べておいた旅行代理店併設のホテルに着いたものの、聞いてみるとその目当ての旅行代理店は移転してしまったとのことだった。

旅行代理店を探して出歩いても良かったのだが、アルーシャの町は妙な静けさがあり、もちろん人もいるしそれなりに町っぽいのだが、少しでも油断しては行けない気がしてで歩く気持ちにならなかった。

宿にwifiも通っておらず、調べる術がなかったのだが、宿の人が今は別の旅行代理店と組んでいるからそこを紹介すると言って、あれよあれよとそのオフィスに連れて行かれた。
かなり警戒して話を聞きにいったが、まず最初に自分がいかに神様を信じているのかという話から始まり、私の行きたい場所などを聞いて、プランを出してくれた。
結論からすると行きたいところにはいけたが、いくつかトラブルがありMeru House Innで紹介される代理店はお勧めしない。

その時は特に何も感じていなかったので、その会社のツアーに行くことにした。
ンゴロンゴロでは本来2泊はプランが組まれていて、近場のサファリも周るのだが、私が行きたいのはンゴロンゴロだけだったので1泊のプランにしてもらい、昨日ツアーに出かけたグループに途中合流することになった。

1日200ドル(約20,000円 ※1ドル=100円)のツアーで帰る日も入れて2日なのでトータルで400ドル支払った。2泊3日のツアーの相場は500ドルくらいなのでまぁ許容範囲。

翌日5:30にドライバーが迎えに来て、ンゴロンゴロ近くのキャンプサイトに合流するため出発した。あまりに眠くて寝ていたが、途中で起こされると普通の道に野生のキリンがいた。夢かと思った。

すでに1泊を共に過ごしているグループの中に、急に朝食から合流するのはとても辛かった。韓国人の同じ歳くらいのグループがいて、彼女らが話しかけてくれた。こういう時はなんだかんだでアジア人に頼ってしまう。
長距離バスからの早朝出発だったからまともなものを食べておらず、久々にちゃんとした朝食を食べたと思った。

キャンプサイトから早速ンゴロンゴロへ向かう。向かう道の途中で何度もマサイ族の人たちを見た。当たり前に町にいるんだな。

ンゴロンゴロ入り口に到着。

ンゴロンゴロは不思議なところで、こういった出入りの管理はしているものの、中にはマサイ族が普通に住んでいる。彼らの住処に我々がお邪魔するような形をとっているのだ。
中を車で進むと住居が見えてくる。
子どもたちは観光客が通る道にたち、写真を撮らせる代わりにチップをもらう。
大人たちは観光客が来ることに慣れているのか、目を合わせることもなく農作業や放牧にいそしんでいた。

さらに車を走らせると、クレーターに到着する。この中で肉食動物も草食動物も共存していて、この中でマサイの人たちは放牧をしている。クレーターはかなり広いが、その外ではあまり動物は暮らさないらしく、本当にこの範囲の中で彼らの世界が完結しているようだった。

クレーターの中に車で入ると、ヌーやシマウマの群れがあちらこちらにあった。

シマウマは今まで観た中で一番マッチョだった。野生はやはり筋肉のつきかたが全然違うのだろうか。

ハイエナをはじめて見た。

ヌーの群れの中にハイエナは入っていくが、ヌーを見るものの、襲う気配もなく、ヌーも逃げる気配もなく去っていた。必要ではない時は食べないのだろうか。そもそも色んな動物が共存しているところなんて見たことがないから、とても興味深かった。他のサファリでも同じ動物、もしくは同じ肉食または草食が群れをなしているところしかみていないから、この場所は本当に不思議だ。

長いのでつづく

2017-03-12

この旅最後の長距離バス移動 アルーシャ行き

朝5時にホテルを出発してバス乗り場を探す。アルーシャ行きは65,000シリング(約4,290円 ※100シリング=6.6円)だった。
まだ暗くて、誰がスタッフなのか分からず、色んな人が「このバスはアルーシャ行きだ」と言うから誰を信じていいのかわからなかった。

確実にスタッフっぽい人がアルーシャ行きの人を集めていたので、バスに乗り込んだ。席は2列シートだったので少し余裕がある。自分のリュックを頭上の荷物入れに入れて、出発を待つ。この旅最後の長距離バス移動になる。絶対にここで盗難などにあいたくないから、周りにも注意しながら乗った。

出発後、途中途中で人がどんどん乗って来てあっという間に満席というか、床までいっぱいになった。タンザニアはバスの評判がかなり悪く、大幅な遅れは当たり前、事故も多いため、夜間のバス運行は禁止されていると聞いていた。
早速その洗礼をあびることとなった。まず出発して少し経つと何度もバスが不自然な場所で止まり、エンジンをふかしては少し様子を見てまた出発、そしてまた止まる、ということを繰り返していた。

隣に座っていた女の子は「タンザニアのバスはたくさん問題があるのよ」と呆れていた。その子は私の髪に興味津々で、触りたいというので触らせると、とても楽しそうだった。確かにアフリカの人は天然のストレートの髪という人はおらず、みな縮れ髪だからアイロンでのばすか、ウィッグをつけるかという感じだった。

バスはついにどこかの町の修理工場に入り、2時間くらいずっと修理をしていた。乗客は皆外に出てその様子を見たり、男の人たちは自分も修理に参加したり、面白い光景だった。これがタンザニアのバスかと思った。

修理が終わって出発したと思ったら、またすぐにエンジンが止まってしまった。このままたどり着けるのかどうか、少し不安になってきた。
休憩や故障でのストップが多かったから、バスにずっと乗ってなくてすんだのはよかったけど。

検問があると、その手前で床に座っている人が全員降ろされて、検問を抜けたところにバスが停まり、またそこに床に座っていた人たちが戻ってくるという、謎の光景を何度も見た。多分定員以上人を乗せてはいけないのかもしれない。
モロッコの長距離バスでも定員以上乗せたバスは検問のとき、床に立っていた人が全員かくれるようにしゃがんでいた。
そう思うと、意外と南米の長距離バスが一番快適だったかもしれない。スピード出しすぎない、席も広くて快適、時間に大幅な遅れもない。

そうこうしているうちに結局夜になっていた。夜はバスの走行が禁止されているはずだが、なぜかずっと走り続けていた。タイムスケジュール上は夜走っていないことにはなっているからだろうか。
夜の12時頃にやっとモシ(Moshi)に到着した。こんな時間に到着するのであれば、モシ行きをやめて良かったと思った。

モシからアルーシャは地図で見る限りそんなに遠くない。もう少しでやっと到着できると、安心感が少し湧いて来た。が、その数時間後またバスが止まり、今度は何かと思ったら、ガス欠だった。確かに1度もガソリンスタンドに寄っていない気がした。

あたりに何もない場所でどうするのかと思ったら、結構時間がたってから、誰が連絡したのか、バイクに乗ってガソリンをタンクに入れて持って来た。なんだか明るくなり始めた頃、その人がヒーローかのように、タンクを嬉しそうに持って来たのをみて、本当におかしかった。

色々トラブルがあったけど朝の7時にアルーシャ(Arusha)に到着した。事故らずに無事に着いただけでもすごいことなのかもしれない。よく考えたらガソリンタンクで、しかもバイクで持って来たら危ないわ。

アルーシャでは泊まりたいホテルを決めていた。サファリのツアー会社と一緒になっているホテルで、ターミナルからは近そうだから、朝だし歩いていこうと思っていた。
タクシーの運転手が、すでに女性客を得ていて、相乗りしていかないかと言ってきたが、断った。
地図を見てから動こうと少し立ち止まると酔っぱらいみたいな人が寄って来て、私の荷物を持っていこうとした。あわてて取り返すと、なんか絡んできそうな、とにかく異様な雰囲気を持った人だということは分かった。

どうしようか考えていると先ほどのタクシー運転手が戻って来て、私をタクシーに乗せた。酔っぱらいは少し怒ってタクシーに近寄って来たが、同乗していた女性がお金を酔っぱらいに渡して立ち去らせた。
運転手は、この女性が私をタクシーに乗せてやってくれと言ったんだ、と。助かった。油断は禁物である。


旅最後のアフリカ タンザニアへ入国

マラウイクワチャを全て使い切って、ほろ酔いで国境へ向かった。
出国の審査はあっさり通過。通過した後にATMを発見したから、そこでタンザニアシリングを引き出す。
だいたいこういうところには両替商がいるのだが、なぜか誰一人いなかった。

そのまま歩いてタンザニアの入国審査場へ行く。日本人はビザが必要で、国境で発行してもらうことができる。50ドル(約5,000円 ※1ドル=100円)支払って、質問も一切されずに手続きを終えたらスタンプをもらえた。

オランダ人の2人も手続きを終えて、また3人で歩き出した。
私はムベヤ(Mbeya)というところまで行くバスに乗る必要があり、2人も同じ行き先だが途中下車することになっていた。
バスターミナルまで歩いている途中子どもたちや大人も、珍しいこともないはずなんだがずっと着いて歩いて来て、物売りではなく単純に「ジャンボ!」って笑いながら挨拶してきて、なんだか楽しそうだった。雰囲気よくタンザニアが始まった。

バスターミナルは結構遠そうだったのだが、歩いている途中でムベヤ行きのバスが停まっていたから、そのまま乗ることにした。5,500シリング(約363円 ※100シリング=6.6円)だった。
futuyuという町でカップルは降りることになっており、連絡先を交換して別れた。最後まで、「一緒に行こう」と言ってくれていたので嬉しかった。

ここまた1人になったと思うととても不安になった。バスが少しだけ車の多い場所に入ってくると、そこはもうムベヤ市内だと教えられた。私が目指していたムベヤのバスターミナルにはこのバスは行かないと言われて、その場でミニバンに乗り換えさせられた。

ほぼほぼ何て言ってるかよく聞き取れないまま、とりあえずミニバンに乗ったのでさらに不安になったが、女性が一緒に乗っていたから大丈夫だろうと思った。
国境を出たのが夕方の6時くらいで、ムベヤのバスターミナルについたのは夜9時くらいだった。

バスターミナルはバスと荷物と人とが溢れていて、バスを待っている人たちがそこらで寝ていた。暗かったのもあるが不安は消えず、とりあえず翌朝にモシ(Moshi)という町まで行きたかったので、宿をとってからバスチケットを取ろうとまずはターミナルの中にある宿に行ってみた。

そしたらまさかの満室!
ホテルの人が近くに他のホテルもあるから案内すると言って、私の荷物を担ぎ始めた。移動するならホテルより先にチケットを取るべきだと思って、チケットを買いにいくが、モシ行きが全て満席。
そのホテルの人がずっとついて来てくれた。そもそも最終目的地はアルーシャ(Arusha)というところなので、アルーシャ行きかモシ行きを探して、いくつかバス会社をまわり、やっとアルーシャ行きのバスチケットを手に入れた。残り1席だった。

そこから3軒くらいホテルをまわったが、全て満室だった。
しかも結構歩き回っている間に、最初のホテルの人がずっと私の荷物を担いでくれていて、気まずかった。さすがにチップをあげた。
もう仕方がないので最初のホテルに戻り、フロントでいいから寝させてくれないかと頼むと、OKだった。
実はフロントのところにはすでに10名ほど人がベンチや床に座って寝ていたのだ。私もその仲間に入れてもらおうと思ったのだ。

夜も12時くらいになっていたが、早朝から移動していたので本当に疲れていた。フロントだけどいいやと思って、床に座り込んだら、ホテルの人たちが集まって来て緊急会議が行われていた。

そしてスタッフの一人が私に「急遽部屋が1つ空いた、20,000シリング(約1,320円)なんだが泊まるか?」と聞いてきた。事前に調べていたターミナル周辺のホテルの値段は6,000〜8,000シリングだった。多分ぼったくり価格で、倍以上の値段だったが、あまりに疲れていたのでありがたく使わせてもらうことにした。

部屋に案内されると、中からスタッフではない人がでてきて、スタッフと何かを話して去っていった。そこでようやく気づいた。この部屋は急遽空いたのではなく、私を泊まらせるためにホテルが買い取ったんだと。割高だったのはホテルと、泊まろうと思っていた人へのお金だろうか。
憶測でしかないが、もしそうだとしたならば、誰かをどけてまで泊まりたかったわけじゃない。そうだと言ってくれれば断ったり、もう少し何か違う言葉をかけられたかもしれないのに。なんだか申し訳なくもあり、私が旅行者だから払うだろうと思われたことへのもやっとした気持ちもあり、だまされたような気持ちもあり、とても複雑な気持ちになったが、もう部屋まで来ちゃったし、全てがめんどくさくなり、寝た。

しかも独房のような部屋ですごく悲しくなった。

2017-03-05

タンザニアに向けて珍道中

宿で出会ったオランダ人カップルと共にタンザニアに向けて出発することになった。朝6時に集合して、出発。ミニバス乗り場まで歩いていき、ムズズ行きバスに乗るつもりで歩いていると、ちょうどムズズ方面に行くバスをつかまえられたので乗り込んだ。

バスといってもワゴン車で、1列に4名乗っていつもの通りぎゅうぎゅう。乗り込むとき、足元に気をつけるように言われてみて見ると、今さっき湖で穫ったのであろう小魚が箱一杯敷き詰められていた。
気をつけろと言われても足の踏み場もない。箱の上に板を置いてもらい、そこに自分の足を乗せることにした。車が生魚のにおいで溢れていたが、それがおかしくて楽しかった。

約1時間くらいでムズズ(Mzuzu)に到着。800マラウイクワチャ(約200円 ※100マラウイクワチャ=25円)。

次はカロンガ(Karonga)行きのミニバスに乗る。基本的にミニバスは車が満席になったら出発するから、時間が決まっていない。同じ行き先のバスはいくつかあり、きっと政治があるのであろう、先に人が集まっていても、なかなか出発しなかったりもする。
私たちが乗ったバスがまさにそれで、集客係はずっとおしゃべりしてるし、全然人が集まらない。1時間くらい待たされた。国境越えしたい私たちは焦り始めて、オランダ人カップルの女性のほうが他のバスで出発しそうなのがあるか見てくると言って出て行った。

少しすると戻って来て、カロンガ行きの別のバスを見つけたから行こう、と強引に荷物を下ろしてそのバスに向かう。
すると運転手が焦って、今すぐ出るから待って、と呼び止めるが、カップルは振り向きもしない。私はただ着いていくだけだ。

すると次の瞬間、私たちが元々乗っていたバスの集客係が、私たちが新しく見つけたバスに飛び込んで、なぜか大暴れ。椅子をバスから外そうとして、バスの中で飛びはねている。それを見た仲間なのかなんなのか分からない人が、ばっ!っとそのバスに乗り込んで一緒に大暴れ。軽い乱闘状態になった。
私はまだバスに乗ってないからその様子をみて、唖然。よくわからないけどカップルは大笑い。

結果、新しく見つけたバスに乗っていた乗客を全て奪い、戻って来て、私たちは元々乗っていたバスに乗せられてようやく出発した。結果オーライというか、なんだろう、何がおきたかよく分からなかったが、出発してよかった。

バスが出発して約4時間、昼過ぎにカロンガに到着。2500マラウイクワチャ(約625円)。バスは相変わらず狭かったが、マラウイの人たちが旅行者の私たちをすごく気遣ってくれた。大丈夫か?とか何か適当な話を振ってくれたり、優しい。
バスを途中で乗り降りする人を見ているととても興味深かった。見たこともないでかいきのこや生魚を荷物にぶらさげていたり。あのきのこ、なんだったんだろう。

カロンガに到着してすぐに、ソングウェ(Songwe)という国境の街に向かった。バスは待たずにすぐ出発した。
タンザニアから来ていた子どもたちが乗っていて。アジア人の私に興味津々。日本から来たと言ったら、「パスポート持ってるの!?」ってすごく驚かれた。お母さんが「パスポート持ってないとここにも来れないでしょ」ってつっこんでて、車内は和やかなままソングウェに到着した。カロンガから1時間くらいだった。

バタバタ過ぎて1枚も写真がない。

このときまだだいたい14時くらいだった。
オランダ人カップルが、「ものすごくスムーズにここまでこれたから時間が余っている、マラウイクワチャも余っているしこれは他の国では価値がない。ビールでも飲まないか」と言って近くの屋台に入った。


マラウイクワチャは価値が低いから、他の国で両替しようとしても、ほぼ意味がないというか使った方が得なくらいだった。
私たちは自分が持っている全てのマラウイクワチャをだして、これがなくなるまで飲もうと決めた。

屋台で売っている牛串と、カールスバーグをひたすら注文した。
ビールは1本400マラウイクワチャ(約100円)だった。安い。

飲んでいる間なんども、このまま一緒に旅をしないかと誘われた。しかもカップルだからどちらかは嫌がっているかもしれないと空気を読もうとしたが、本当に2人とももう少し一緒に旅をしたいと思ってくれているようだった。
確かにここまで楽しかった。人数が多いことでのメリットもあるし、稀にある気が合う人なんだなって思った。でも私の旅の期間と予算がもうぎりぎりだったから、断った。

それでもこういう体験が出来て本当に良かったと思う。
1人4-5本ビールを飲んで、ほろ酔いで国境へ向かった。