ニューオリンズ(New Orleans)に着いてすぐに、泊まるところへ移動した。いつもの安いドミトリー。
到着してすぐに、大音量でそのホステルからレゲエが聴こえてきて、「もうここは違う国だ」と思った。
だってもう日差しが違うんだもの。
私がセーター着ていることなんて、ほんとバカみたいだった。
まずは地図を →ニューオリンズ
2005年にカトリーナという大型ハリケーンでニューオリンズの8割が水没し、住んでいる人種の割合が入れ替わってしまうほどの被害だったそうだ(Wiki情報)被害が大きかった地域にそれまで半数を占めていたアフリカ系アメリカ人が住んでいたようです。
当時私は伊豆の寿司屋でその報道を見ながら、変な名前をつけるもんだと思っていた記憶しかないのが悲しい。
他国の災害って現地の大変さがわかるっていうのは、相当なレベルの災害であっても、その情報を自ら追いかけなければ何も知らないままなんだなと。
そこまで大きい街ではないので、歩いて中心部まで行くと、そこは想像していたところと全然違っていた。
やはりニューオリンズといえばジャズ発祥の地なので、そこら中で演奏しているのかと思っていたけど、
アメリカの観光客がバーボンストリート(Bourbon Street)という有名な通りで飲み歩いて、騒ぎまくっているカオスな状態を目にすることになった。
ちょうどその日はNFLの地元チームの試合だったらしく、
観光客だけでなく地元の人も練り歩いていたようだった。
みんなこういうジャラジャラしたやつを首に何個もかけて、グラスを持って飲み歩いている。
私も1人ではなかったらやってみたかったけど、なんだかできなかった。
こんな風に建物からそのジャラジャラを投げるおばさんと、それをもらいたがる人たちも。
一番盛り上がっていた地域は、フレンチクオーター(The French Quarter)という、昔フランスとスペインの植民地だったときの時代の建物が残っている地域。
建物はとても趣きがあって素敵だった。飲み歩きの人たちがいるから真逆の雰囲気すぎてそれが面白かったけど。
人乗りすぎて落ちそう・・・。
こういう店もたくさんあるし。
でも色々なとこから色々なジャンルの音楽が聴こえてきたので、
酒の印象のあとはやはり音楽、そして日が沈むのが遅いので、太陽の印象。
あとは訪れている人がとにかく楽しそうにしている印象が強い。やはり暖かいところは全てが違っていた。
次の日はNFLの試合もなく、少しだけ落ち着いた街を堪能することができた。
マーケットをやっていたり、
色々な演奏を聴くこともできた。
前の日とは違って、のどかな街になった。こっちのほうが好き。
あと、ニューオリンズといえば色々な人におすすめされたのは「カフェドウモンド(Café du Monde)」
日本にもあるみたいだけど、ベニエ(あげたドーナッツみたいなのに砂糖をかけたお菓子)というお菓子とカフェオレが有名らしく、それは体験してきた。
普段甘い物はアメとアイス以外ほとんど食べない私ですが、これはおいしかった、すごく!
日本のサイトを見たら、かかっている砂糖の量が100倍は違うけど。
私の家の近くだと、まさかのひばりが丘パルコにあるみたいなので、帰ったらいってみよう。
写真だとわかりづらいけど、ベニエの下に砂糖が大量にある。あまりに多いのでふるい落として食べた。
そしてミシシッピ川沿いでカフェオレを飲む私・・・この旅始まって以来の1人セルフタイマー。
背中が丸すぎてへこむ。
しかしこのお店はとにかく混んでいます。
席に座る場合でも、持ち帰りでも並ぶので、それ覚悟で。
私は持ち帰りにして15分くらい並んだかな。席はすごく暗いし人がごちゃごちゃいるので、持ち帰りを推奨。近くが川だし、すごく気持ちがいい。
めっちゃ混んでいるのに、外で休む従業員の人たちと、つくっているのをのぞく少年たち。なんか不思議な光景。
あとから呼び戻されてたけど。作っているのはみんなアジア系の人たちなんだよね。それもなんか不思議。
ニューオリンズでは植民地時代の文化が残った食べ物(クレオール料理やケイジャン料理)やシーフードがあって、
食べることが楽しい街でもあった。やはり食は重要。
お酒はほとんど飲まなかったけど、音楽と太陽を満喫して、
次はまたAmtrakでヒューストンへ。
ニューオリンズ滞在:2012年1月14日〜16日
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到着してすぐに、大音量でそのホステルからレゲエが聴こえてきて、「もうここは違う国だ」と思った。
だってもう日差しが違うんだもの。
私がセーター着ていることなんて、ほんとバカみたいだった。
まずは地図を →ニューオリンズ
2005年にカトリーナという大型ハリケーンでニューオリンズの8割が水没し、住んでいる人種の割合が入れ替わってしまうほどの被害だったそうだ(Wiki情報)被害が大きかった地域にそれまで半数を占めていたアフリカ系アメリカ人が住んでいたようです。
当時私は伊豆の寿司屋でその報道を見ながら、変な名前をつけるもんだと思っていた記憶しかないのが悲しい。
他国の災害って現地の大変さがわかるっていうのは、相当なレベルの災害であっても、その情報を自ら追いかけなければ何も知らないままなんだなと。
そこまで大きい街ではないので、歩いて中心部まで行くと、そこは想像していたところと全然違っていた。
やはりニューオリンズといえばジャズ発祥の地なので、そこら中で演奏しているのかと思っていたけど、
アメリカの観光客がバーボンストリート(Bourbon Street)という有名な通りで飲み歩いて、騒ぎまくっているカオスな状態を目にすることになった。
ちょうどその日はNFLの地元チームの試合だったらしく、
観光客だけでなく地元の人も練り歩いていたようだった。
みんなこういうジャラジャラしたやつを首に何個もかけて、グラスを持って飲み歩いている。
私も1人ではなかったらやってみたかったけど、なんだかできなかった。
こんな風に建物からそのジャラジャラを投げるおばさんと、それをもらいたがる人たちも。
一番盛り上がっていた地域は、フレンチクオーター(The French Quarter)という、昔フランスとスペインの植民地だったときの時代の建物が残っている地域。
建物はとても趣きがあって素敵だった。飲み歩きの人たちがいるから真逆の雰囲気すぎてそれが面白かったけど。
人乗りすぎて落ちそう・・・。
こういう店もたくさんあるし。
でも色々なとこから色々なジャンルの音楽が聴こえてきたので、
酒の印象のあとはやはり音楽、そして日が沈むのが遅いので、太陽の印象。
あとは訪れている人がとにかく楽しそうにしている印象が強い。やはり暖かいところは全てが違っていた。
次の日はNFLの試合もなく、少しだけ落ち着いた街を堪能することができた。
マーケットをやっていたり、
色々な演奏を聴くこともできた。
前の日とは違って、のどかな街になった。こっちのほうが好き。
あと、ニューオリンズといえば色々な人におすすめされたのは「カフェドウモンド(Café du Monde)」
日本にもあるみたいだけど、ベニエ(あげたドーナッツみたいなのに砂糖をかけたお菓子)というお菓子とカフェオレが有名らしく、それは体験してきた。
普段甘い物はアメとアイス以外ほとんど食べない私ですが、これはおいしかった、すごく!
日本のサイトを見たら、かかっている砂糖の量が100倍は違うけど。
私の家の近くだと、まさかのひばりが丘パルコにあるみたいなので、帰ったらいってみよう。
写真だとわかりづらいけど、ベニエの下に砂糖が大量にある。あまりに多いのでふるい落として食べた。
そしてミシシッピ川沿いでカフェオレを飲む私・・・この旅始まって以来の1人セルフタイマー。
背中が丸すぎてへこむ。
しかしこのお店はとにかく混んでいます。
席に座る場合でも、持ち帰りでも並ぶので、それ覚悟で。
私は持ち帰りにして15分くらい並んだかな。席はすごく暗いし人がごちゃごちゃいるので、持ち帰りを推奨。近くが川だし、すごく気持ちがいい。
めっちゃ混んでいるのに、外で休む従業員の人たちと、つくっているのをのぞく少年たち。なんか不思議な光景。
あとから呼び戻されてたけど。作っているのはみんなアジア系の人たちなんだよね。それもなんか不思議。
ニューオリンズでは植民地時代の文化が残った食べ物(クレオール料理やケイジャン料理)やシーフードがあって、
食べることが楽しい街でもあった。やはり食は重要。
お酒はほとんど飲まなかったけど、音楽と太陽を満喫して、
次はまたAmtrakでヒューストンへ。
ニューオリンズ滞在:2012年1月14日〜16日
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