12月18日に日本を出発して10日くらい。
意外と時間がたつのが遅いなと今は思っている。
私、時間を逆行して移動したので、
18日を2回やってるんだよね。不思議。
ほんとは旅に出る前に旅に出ることについて書こうと思っていたのだけど、
なんだかそういう気分にならなくて書かなかったから今書こうかと。
よく「なんで世界一周するの?」と聞かれる。
私は面倒なのでずっと行きたかったからと答えている。
それは嘘ではなく、ほんとにずっと行きたかった。
当然のことだけど、人生1回しかないのでやろうと思ったことに近づこうとしたり、実行するのは当たり前のことだと思うし。
でもなぜ行きたかったのかというのには少し長い話があったりする。
始まりは中学2年生。
川端康成の「雪国」。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という有名な冒頭の一文。
超思春期まっただ中な私はこれを読んで、その時(中2です)の閉鎖的な環境をいつか抜け出したいと思った。
当時は当時の自分なりに色々な問題をかかえていて、閉鎖的な環境を抜け出すことと、夜の底が白くなるところを勝手に重ねたのだろうか。
多分これから先の全ての決められているであろうことに対しての反骨心があったのではないかと。
でも、今思うとこれがすべての始まりな気がするけど、この時はまだ世界一周したいとか具体的なことは考えていない。
ま、雪国自体はそういう話ではないのだけどね。
でも当たり前のように高校に入学した。
そこで出会ったたくさんの愛すべきおかしな友達と楽しく過ごし、
あっという間に2年くらいが過ぎていた。
3年になって進路を決めないといけないときになって、
今までの理由のない反骨心からは少しだけ卒業して、
本当にこれでいいのだろうか?ということを考えるようになった。
結果、大学受験をやめた。そのときの私にとっては意味がないという結論にいたったから。
今後日本で生きていくことを考えると少し学歴があったほうがいいという助言のもと短大は行くことになった。
元々大学へ行くためにあったお金の半分は渡英することに使わせてもらった。
イギリスに行って色々な国の人に出会って、
今まで思っていた日本の常識が常識と呼べないことも(もちろん呼べることも)あるんだということが身にしみてわかった。
もっと色々なところに行ってみたいと思った。
でも帰国してからが大変だった。
特にできることがなかったので仕事が本当になくて、
(今思うとなによりやる気が日に日になくなっていたというのが一番悪い)どうにかとあるところで受付嬢をしたものの、
自分に合わなすぎてすぐにやめた。
せめて少しでも好きなことに近いことをと思って本屋でバイトすることになった。
でもそれは好きなことというよりはただ単に楽になりたかったのだとも思う。
その時出会ったある人に、
やりたいことをつくるように言われてなんとなく「世界一周」という目標を持った。
つまり最初は無理矢理でちょっと適当な目標だったのです。
でも、できなさそうだけどやってみようとなぜか思った。
本屋のバイトしてるだけじゃお金貯まらないからということで、
仕事を変えて、出発の直前まで勤めていた会社でバイトをすることになった。
バイトしているうちに、そっちが楽しくなって、社員になることを志願してめでたく社員になれた。
そのあと5年間くらい、色々あったけど楽しくて、「世界一周」の資金を貯めているという気持ちは少しあったけど、
本当に行くかどうかはちょっと迷っていた。
もちろんそのままでもよかったけど、個人的なある出来事があり、「世界一周」をやはり実行しようと考えた。
なぜなら多分このまま旅に行かずに死んだら後悔するだろうなと思って。
仕事をやめる決意をして、退職の意向を伝えた次の次の日に地震が起きた。変なタイミングだと思った。
なんだか最初の話とずれてきたな・・。
総括すると最初はいわゆる一般的な人の道とは違うことしたいという反骨心から始まり、
イギリスに行ったことにより他の国に興味がわいたことがプラスされた。
他の人と違うを意識していたら、気づいたらそれがモラトリアムに生きることになってしまっていた、
だからしっかり働いたり、当時の自分への無理難題をふっかけることが必要で、
それがただ単にモラトリアムを脱出しようとするためのきっかけの言葉だったということ。
元々旅行が好きだし、なにより新しいものに触れることが好きなので、
もちろん世界の色々な人や、風景などとても楽しみだとは思っているけど、
それ以前に人とコミュニケーションをとるのが未だに苦手なので本心を言えばその点はいつも心配。
だから旅好きが興じて世界一周をすることになったというよりは、
いつでも自分のたてた目標を達成するための世界一周だったということ。
やらないならば、また昔に戻るだけだし、それが嫌だとずっと思い続けた。
ただ、最初のぼんやり目標からでは実行する決断までいけたかわからない。
働いている間に色々な経験をしたことがさらに実行を後押ししている。
傷ついている人を助けられなかったり、自分の理解の範疇を超えた人が現れてうまくいかなかったり、
そういうことが沢山起きた。
そういうときに自分を責めたり相手を批判したりしても意味がないと思っていて、
次に起きたときにもっといい方法で解決できるようにしなくてはいけないと思うようになった。
そのためにはもちろんスキルも大事だけど、相手の気持ちもわからないといけない。
同じ事象が2人の人に同時に起きたとしても感じ方が違うのは当たり前、
相手の背景が理解できていないと、自分と違う感じかたをする人をわかってあげられない(むしろ無意味にいきなり批判したりする)、
だから自分はなるべく背景が理解できるようにとにかく経験を積まないといけないと思った。
他人と全く同じ経験はできないし、同じ人生を歩めないけど、
対象となる人が「そう」考えるようになった理由がわかれば、
もっといい方向にお互いにいけるのではないかと思ったりして。
だからとにかく色々な経験。経験値。
世界一周という目標に、そもそも自分の経験値を高めたいという目的が追加された。
だからほんとは世界一周じゃなくても方法はいくらでもあると思う。
でも私は6年前のそのときに決めたから、この方法を選んだだけ。
あとは少しでも自分の人生が楽しかったと思って終わりたいというのがあるし。
次にやりたいことはだいたい決めた。
だから一周したら、次は次の決めたことに進んでいくのでしょう。
ではまた旅に戻ります。
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意外と時間がたつのが遅いなと今は思っている。
私、時間を逆行して移動したので、
18日を2回やってるんだよね。不思議。
ほんとは旅に出る前に旅に出ることについて書こうと思っていたのだけど、
なんだかそういう気分にならなくて書かなかったから今書こうかと。
よく「なんで世界一周するの?」と聞かれる。
私は面倒なのでずっと行きたかったからと答えている。
それは嘘ではなく、ほんとにずっと行きたかった。
当然のことだけど、人生1回しかないのでやろうと思ったことに近づこうとしたり、実行するのは当たり前のことだと思うし。
でもなぜ行きたかったのかというのには少し長い話があったりする。
始まりは中学2年生。
川端康成の「雪国」。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という有名な冒頭の一文。
超思春期まっただ中な私はこれを読んで、その時(中2です)の閉鎖的な環境をいつか抜け出したいと思った。
当時は当時の自分なりに色々な問題をかかえていて、閉鎖的な環境を抜け出すことと、夜の底が白くなるところを勝手に重ねたのだろうか。
多分これから先の全ての決められているであろうことに対しての反骨心があったのではないかと。
でも、今思うとこれがすべての始まりな気がするけど、この時はまだ世界一周したいとか具体的なことは考えていない。
ま、雪国自体はそういう話ではないのだけどね。
でも当たり前のように高校に入学した。
そこで出会ったたくさんの愛すべきおかしな友達と楽しく過ごし、
あっという間に2年くらいが過ぎていた。
3年になって進路を決めないといけないときになって、
今までの理由のない反骨心からは少しだけ卒業して、
本当にこれでいいのだろうか?ということを考えるようになった。
結果、大学受験をやめた。そのときの私にとっては意味がないという結論にいたったから。
今後日本で生きていくことを考えると少し学歴があったほうがいいという助言のもと短大は行くことになった。
元々大学へ行くためにあったお金の半分は渡英することに使わせてもらった。
イギリスに行って色々な国の人に出会って、
今まで思っていた日本の常識が常識と呼べないことも(もちろん呼べることも)あるんだということが身にしみてわかった。
もっと色々なところに行ってみたいと思った。
でも帰国してからが大変だった。
特にできることがなかったので仕事が本当になくて、
(今思うとなによりやる気が日に日になくなっていたというのが一番悪い)どうにかとあるところで受付嬢をしたものの、
自分に合わなすぎてすぐにやめた。
せめて少しでも好きなことに近いことをと思って本屋でバイトすることになった。
でもそれは好きなことというよりはただ単に楽になりたかったのだとも思う。
その時出会ったある人に、
やりたいことをつくるように言われてなんとなく「世界一周」という目標を持った。
つまり最初は無理矢理でちょっと適当な目標だったのです。
でも、できなさそうだけどやってみようとなぜか思った。
本屋のバイトしてるだけじゃお金貯まらないからということで、
仕事を変えて、出発の直前まで勤めていた会社でバイトをすることになった。
バイトしているうちに、そっちが楽しくなって、社員になることを志願してめでたく社員になれた。
そのあと5年間くらい、色々あったけど楽しくて、「世界一周」の資金を貯めているという気持ちは少しあったけど、
本当に行くかどうかはちょっと迷っていた。
もちろんそのままでもよかったけど、個人的なある出来事があり、「世界一周」をやはり実行しようと考えた。
なぜなら多分このまま旅に行かずに死んだら後悔するだろうなと思って。
仕事をやめる決意をして、退職の意向を伝えた次の次の日に地震が起きた。変なタイミングだと思った。
なんだか最初の話とずれてきたな・・。
総括すると最初はいわゆる一般的な人の道とは違うことしたいという反骨心から始まり、
イギリスに行ったことにより他の国に興味がわいたことがプラスされた。
他の人と違うを意識していたら、気づいたらそれがモラトリアムに生きることになってしまっていた、
だからしっかり働いたり、当時の自分への無理難題をふっかけることが必要で、
それがただ単にモラトリアムを脱出しようとするためのきっかけの言葉だったということ。
元々旅行が好きだし、なにより新しいものに触れることが好きなので、
もちろん世界の色々な人や、風景などとても楽しみだとは思っているけど、
それ以前に人とコミュニケーションをとるのが未だに苦手なので本心を言えばその点はいつも心配。
だから旅好きが興じて世界一周をすることになったというよりは、
いつでも自分のたてた目標を達成するための世界一周だったということ。
やらないならば、また昔に戻るだけだし、それが嫌だとずっと思い続けた。
ただ、最初のぼんやり目標からでは実行する決断までいけたかわからない。
働いている間に色々な経験をしたことがさらに実行を後押ししている。
傷ついている人を助けられなかったり、自分の理解の範疇を超えた人が現れてうまくいかなかったり、
そういうことが沢山起きた。
そういうときに自分を責めたり相手を批判したりしても意味がないと思っていて、
次に起きたときにもっといい方法で解決できるようにしなくてはいけないと思うようになった。
そのためにはもちろんスキルも大事だけど、相手の気持ちもわからないといけない。
同じ事象が2人の人に同時に起きたとしても感じ方が違うのは当たり前、
相手の背景が理解できていないと、自分と違う感じかたをする人をわかってあげられない(むしろ無意味にいきなり批判したりする)、
だから自分はなるべく背景が理解できるようにとにかく経験を積まないといけないと思った。
他人と全く同じ経験はできないし、同じ人生を歩めないけど、
対象となる人が「そう」考えるようになった理由がわかれば、
もっといい方向にお互いにいけるのではないかと思ったりして。
だからとにかく色々な経験。経験値。
世界一周という目標に、そもそも自分の経験値を高めたいという目的が追加された。
だからほんとは世界一周じゃなくても方法はいくらでもあると思う。
でも私は6年前のそのときに決めたから、この方法を選んだだけ。
あとは少しでも自分の人生が楽しかったと思って終わりたいというのがあるし。
次にやりたいことはだいたい決めた。
だから一周したら、次は次の決めたことに進んでいくのでしょう。
ではまた旅に戻ります。
なるほど。
返信削除そうなんです。
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