なんじゃこのタイトルは。言いたいことをストレートに書いたらこうなった。
というのも、この話はさかのぼる事2012年2月のブラジル、リオデジャネイロでの話。
そこで偶然出会った現地在住の日本人の方とこの話で意気投合して、とても重要なことに感じたのでずっといつか書こうと思っていた。
前エントリーで書いたことともちょっと内容がかぶってしまうけど、タイトルの通り「私たちは最初からみな違う人」なんです。
先日黒柳徹子さんが、私が話したいと思っている内容をまさに話しており、こちらは「みんな一緒」という表現をしていた。しかし言いたい事は同じだ。
こちらさすがの人生経験と素敵な話なので興味があればぜひ
http://www.youtube.com/watch?v=g8bc5ozCWKs
世界中にこんだけの人間がいて、自分の周りにいる人たちでも明らかに自分とは違う部分があるというのをわかっておきながら、あまりにも皆が同じ感覚であるかのように人を扱う人が多くないか?というのが話のきっかけ。
前にも書いた通り、大人になればなるほど色々なグループに勝手に配属されている気がする。それは男女からはじまり、結婚しているとかしていないとか、仕事がホワイトとかブラックとか、子どもがいるとかいないとか。その人を表す事実としてはもちろん時により必要な情報だとは思う。
ただその事実から勝手に推測されることが多すぎるとも思う。そしてそういうことに苦しめられている人も沢山いることも事実だと思う。
例えばの話、当の私が書くととてもわかりやすい気がする例え。30代で結婚してないと聞くと、あぁ性格に問題ありなんだな、もしくは仕事が恋人系?とか。極端に書いたものの、それはほんとどうでもいい想像。それはあなたが勝手につくりだした女性(もしくは男性)像でしょうと言いたくなるが、それがあたかも一般論かのように世間でニュースになったりする。そういうことがあるからまたおかしな連鎖が生まれるとも思う。
ちなみに世界一周についても、「お金があるんだね」もしくは「自分探し?」という決めつけをよくされます。
なぜにつまらない枠に人をはめようとするのか、その人がそうである事実を非難するより、なぜその人がそうしたいと思っているかに興味を持たないのか、私にはそれがとても疑問である。
生まれて来た環境が違う、育ててくれた人も違う、当然教えられてきたことも違うだろう。だから必ず自分と人は違う。
私はみなと分かり合えれば良いとはあまり思わなくて、ただ本当に世の中に色んな人がいるということを理解すべきだと思っている。なぜならそうやって枠にはめられた人たちが苦しんでいる事も知っているし、枠にはめられないから苦しんでいる人も知っていて、その人たちはみなとてもいい人なのに、なぜこんなことで悩まされるんだろうと思っているから。
旅をしていると当然日本人以外と会話する事の方が多い。
日本の常識が彼ら(他の国の人)の常識ではない。だから、まずお互いのことを知ろうとする。得た情報で何の枠にもはめられない、なぜなら相手の国の事をあまり知らないことが多いし、それで何かを判断することができないから。だからまた得た情報がどういうことなのかを知ろうとする。
本来は誰とでもこうあるべきではないのかと思う。そしてその方が確実に面白いはずなのである。それで自分とは合わなければそれでいいし、ただそういう人がいるんだなと思えばよくて、もっと知りたいと思ったならばそうすればいい。ただそれだけなのになぁと思う。
そしてあたかも自分が正しい意見かのように書いているが、そう思わない人もやっぱりいるだろうと思ったりもする。でもやっぱりそういう人もいるはずだよねと、そこから始めないと、何も生まれない。
これで私が前半の旅に関する事で書きたかった事は終わり。いよいよ後半の旅へ。
今はインドネシアのジョグジャカルタにいて、明日からマレーシアのクアラルンプールに飛びます。さてネット環境が整っている場所はあるのだろうか。
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2013-07-10
2013-07-09
世界を半周して変わった事と変わらなかった事(雑談)
大それた事があったかのようなタイトル。ちょっと面白いかなと思ってつけてみる。
これが結構聞かれる話で、「行ってみて自分自身が変わったと思う事ってある?」っていう質問。その質問の意図は色々あると思う。私という人を元々知っている人に多いけどただ単に「さて一体どんなパワーアップをしてきたのか聞かせてくれ」という意味であったり、あとは一般的な質問で「世界をまわって来たのだから人生観が変わるような何かがきっとあるに違いない」という意味。
まず、後者的な質問であれば、答えは多分面白くない話になると思う。なぜなら別にないからだ。「ない」という表現はあまり適切ではないか。
言いたい事は、「世界をまわること=自分や人生観が変わる事」と思っている人がいるならば、そういう風に決して繋がると思ってほしくないということだ。いつぞやの雑談にも書いた事があるような気がするが、それがどこであっても結局どういう意識で過ごすかによって全然違うということ。それがたまたま長い間1人で旅行する事だけによって得られたものであれば、それはとてもいいことだとは思う。もし10代後半で同じ事していたら、それが人生に及ぼす影響はものすごかったかもしれないなとも思うし。
もちろん、日本で働いているのが日常だとするならば、かなり非日常的な暮らしをして、言葉もわからず、わからないから間違えて嫌いなアボカド注文しちゃったりして、そういうバカな話ならば山ほどあるけれど、皆がわくわくしながら求めている答えは私は持ち合わせていないのかなと思った。
どちらかと言えば、その謎のプレッシャーがかかった状態が嫌だからこれを書いているのかもな。これから行く人がいるとすれば、せっかく自由な時間なんだから好きな事して、気負わず行こうぜと言いたいのかもしれない。
知らないところに行って、色々なものや人を見るのはただ単純にとても楽しいから。
話は最初に戻り、前者的な質問だった場合、話したい事は色々ある。
私は元々ダメすぎる自分が終わってるなと思って、漠然とした大きな目標が達成できたらなにか変わるんじゃないかということで「世界一周」してみようと思ったのが始まりで、世界をまわってみて何かが変わったというより、そこまでの過程で大きく色んな事を学んで変わっていったと思う。良い人間になれたかはわからないけど、今はとても楽しい。
もう1つは自分が重要視しているのは色々な経験で、それをもっと高められたらいいなというのがあって行ったというのもあるけど、それはもう普段からそう思うから、後付けのように世界旅行にあえて繋げて言ってみる必要もないのかなと。
人生観は変わらないけど、私の中でこれは進化したと思うこと。
まず色々な情報の取捨選択。
色んな国に行くからその時のその国の状況は安全のためにはもちろん、帰って来たからも目につくようになったから追うようにはなった。前はそういうことほぼ考えてなかった。日本国内の情報もある一方からだけの情報を選択していては真偽が不確かになり、それが最近は顕著に色々な面で表れているような気がする。それを自分が、自分たちが選択していかなくてはいけないのだなというのは帰って来てから特に思うようになった。
より自由になってより大丈夫と思うようになった。
「自由」という言葉を使うと思春期の中学生かよと思われそうだけど、大人になればなるほど気づけば自分が勝手にどこかのグループに分類されているなと思う。今なら30代独身女性、世界を旅するちょっと痛い人、みたいな。
でもそれは人の本質じゃなくて、誰もその人の事はわからないわけで、最初は面倒だなと思っていたけど、全然気にしなくなった。それにそれは日本だけの話で、その中でもさらに狭い世界の話で、世界には本当に沢山色んな人がいるのに、何と比べて勝手にそうなるんだろうという気持ち。
確かに日本に住んでいる以上、その中で暮らしていかなきゃいけないから、体裁を整えた方がいいという意見はわかるが、いつまでもそうだから、閉塞感がなくならないのをわかっているのになぜ誰も変えないのだろうとも思う。全部を変えるのは難しいと思うけど、少なくとも自分が苦しいと思う事を人に押し付けても何の意味もないのに。
より大丈夫と思うようになったという意味は、ほんと言葉の通りで、常に焦らず落ち着いていれば必ずどうにかできる気がするということ。なんとなく前からそういう気持ちでいたけれど、よりそう思うようになった。それは多分やっぱり、色んな人を見たからだと思う。
特に強く思うのはそのくらいかしら。
相変わらず私は超人見知りのままで、安室さんが好きすぎて周りがひくレベルで、酔って急にアツく語りだしたりする人のままで、ただもしかしたら前よりも少し面白い話をできるようにはなっているかもしれません、なっているといいな。引き出しが増えたからという意味で。
もう1つ書きたいことがあるから、それを書いたら後半の旅ブログを始めたいと思っています。
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これが結構聞かれる話で、「行ってみて自分自身が変わったと思う事ってある?」っていう質問。その質問の意図は色々あると思う。私という人を元々知っている人に多いけどただ単に「さて一体どんなパワーアップをしてきたのか聞かせてくれ」という意味であったり、あとは一般的な質問で「世界をまわって来たのだから人生観が変わるような何かがきっとあるに違いない」という意味。
まず、後者的な質問であれば、答えは多分面白くない話になると思う。なぜなら別にないからだ。「ない」という表現はあまり適切ではないか。
言いたい事は、「世界をまわること=自分や人生観が変わる事」と思っている人がいるならば、そういう風に決して繋がると思ってほしくないということだ。いつぞやの雑談にも書いた事があるような気がするが、それがどこであっても結局どういう意識で過ごすかによって全然違うということ。それがたまたま長い間1人で旅行する事だけによって得られたものであれば、それはとてもいいことだとは思う。もし10代後半で同じ事していたら、それが人生に及ぼす影響はものすごかったかもしれないなとも思うし。
もちろん、日本で働いているのが日常だとするならば、かなり非日常的な暮らしをして、言葉もわからず、わからないから間違えて嫌いなアボカド注文しちゃったりして、そういうバカな話ならば山ほどあるけれど、皆がわくわくしながら求めている答えは私は持ち合わせていないのかなと思った。
どちらかと言えば、その謎のプレッシャーがかかった状態が嫌だからこれを書いているのかもな。これから行く人がいるとすれば、せっかく自由な時間なんだから好きな事して、気負わず行こうぜと言いたいのかもしれない。
知らないところに行って、色々なものや人を見るのはただ単純にとても楽しいから。
話は最初に戻り、前者的な質問だった場合、話したい事は色々ある。
私は元々ダメすぎる自分が終わってるなと思って、漠然とした大きな目標が達成できたらなにか変わるんじゃないかということで「世界一周」してみようと思ったのが始まりで、世界をまわってみて何かが変わったというより、そこまでの過程で大きく色んな事を学んで変わっていったと思う。良い人間になれたかはわからないけど、今はとても楽しい。
もう1つは自分が重要視しているのは色々な経験で、それをもっと高められたらいいなというのがあって行ったというのもあるけど、それはもう普段からそう思うから、後付けのように世界旅行にあえて繋げて言ってみる必要もないのかなと。
人生観は変わらないけど、私の中でこれは進化したと思うこと。
まず色々な情報の取捨選択。
色んな国に行くからその時のその国の状況は安全のためにはもちろん、帰って来たからも目につくようになったから追うようにはなった。前はそういうことほぼ考えてなかった。日本国内の情報もある一方からだけの情報を選択していては真偽が不確かになり、それが最近は顕著に色々な面で表れているような気がする。それを自分が、自分たちが選択していかなくてはいけないのだなというのは帰って来てから特に思うようになった。
より自由になってより大丈夫と思うようになった。
「自由」という言葉を使うと思春期の中学生かよと思われそうだけど、大人になればなるほど気づけば自分が勝手にどこかのグループに分類されているなと思う。今なら30代独身女性、世界を旅するちょっと痛い人、みたいな。
でもそれは人の本質じゃなくて、誰もその人の事はわからないわけで、最初は面倒だなと思っていたけど、全然気にしなくなった。それにそれは日本だけの話で、その中でもさらに狭い世界の話で、世界には本当に沢山色んな人がいるのに、何と比べて勝手にそうなるんだろうという気持ち。
確かに日本に住んでいる以上、その中で暮らしていかなきゃいけないから、体裁を整えた方がいいという意見はわかるが、いつまでもそうだから、閉塞感がなくならないのをわかっているのになぜ誰も変えないのだろうとも思う。全部を変えるのは難しいと思うけど、少なくとも自分が苦しいと思う事を人に押し付けても何の意味もないのに。
より大丈夫と思うようになったという意味は、ほんと言葉の通りで、常に焦らず落ち着いていれば必ずどうにかできる気がするということ。なんとなく前からそういう気持ちでいたけれど、よりそう思うようになった。それは多分やっぱり、色んな人を見たからだと思う。
特に強く思うのはそのくらいかしら。
相変わらず私は超人見知りのままで、安室さんが好きすぎて周りがひくレベルで、酔って急にアツく語りだしたりする人のままで、ただもしかしたら前よりも少し面白い話をできるようにはなっているかもしれません、なっているといいな。引き出しが増えたからという意味で。
もう1つ書きたいことがあるから、それを書いたら後半の旅ブログを始めたいと思っています。
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