前編はこちらから。
遺跡の真ん中にどーんとあるエル・カスティーヨ。昔は上までのぼれたらしいが、現在はのぼることはできないので下からしか見れなかった。これには様々な仕組みがあるという。
まずこの北側の階段にあるククルカン。ククルカンは神様の名前で羽を持つ蛇。この階段の前で手を叩くと「キューン」と響くような音が聞こえる。これがククルカンの鳴き声と言われているらしい。
この蛇の階段の側面に春分と秋分の日に羽の形となって浮かび上がるらしい。(説明動画)
さらに最近分かった事らしいのだが、夏至と冬至にはピラミッドのちょうど角になる部分を境目に影になるところと、光が当たるところときっかり分かれるようになるとのこと。これはあんまり資料がなかったから、どっかのサイトから。(参考記事、Summer Solsticeのところ写真)
そしてなんと私が行った時はまさに夏至だったのだけど、太陽が出たり入ったりでこの現象をみることができなかった…。残念。
さらに、このピラミッドは四方にある階段の段数が91段ずつ。最上階にある祭壇への階段1段を足すと365になるという。いかに当時の人が暦を理解していたかというのがわかった。といってもこれは現代の暦と誤差がほとんどないと言われているマヤ暦という数え方なんだけど。実際に行って、それを感じると感動だった。
近くにある生け贄の台座だったツォンパントリ(El Tzompantli)。デザインが現代風。
球戯場(Juego de Pelota)。球戯は儀式として行われていたらしく、勝ったチームは生け贄になったそうな。球戯れ場は声がすごく通るようになっていて、広いけどはじから声をだすと、反対側にあっさりと届く。
ここにボールをいれるゲームだった。
マヤ暦というと13バクトゥンという長期暦というのがあり、5129年で一周する。マヤ暦の起点から数えると2012年12月22日がその長期暦の最後の日だから、人類滅亡説がでてるという。まあでも5129年で一周するということは、また1から始まるっていうことなのかなあとか、勝手に思ったり。
カンクンでたまたま出会った考古学を勉強している人によると、そもそも長期暦が5129年というのが嘘で、それが記された遺跡か何かが途中で壊れていたからその長さになっただけだとか、言ってたり。どこからどこまでがほんとなのやら。
チチェン・イッツァはやはり、エル・カスティーヨを見た時の感動がすごかった。周りに何も無いなかで神々しく建っていたのだから。でもほんとに前編でも書いたように、お土産屋が多すぎるというところがもったいない。午前はまだあまり人もいないし、お土産屋も準備完了していないから、行くなら午前が絶対オススメです。
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2012-11-12
チチェン・イッツァに行く 前編
メリダからバスに乗ってチチェン・イッツァ(Chichen Itza)へ。2等の安いバスに乗ったのでだいたい2時間半くらいで到着。Oriente社ので68メキシコペソ(約408円 ※1メキシコペソ=6円)
午後からだと人が増えてゆっくり見れないと宿の人に言われたから、朝早くから見に行くことにした。6時出発のバスでまだ周りが暗い。
着く頃にはもう明るくなっている。まさかこんな大きく入り口が分かるように書いてあると思わなかった。
入場は57メキシコペソになぜか120メキシコペソのチケットがないと入場できなくて、結局177メキシコペソ(約1,062円)払った。
チチェン・イッツァは7世紀に繁栄した、都市遺跡。頻繁に遷都していたらしく、6世紀から10世紀前までに繁栄した旧チチェン・イッツァと、10世紀以降に繁栄した新チチェン・イッツァに分かれている。入り口は入るとすぐにメインであるピラミッドがあるが、後にじっくり見たかったから、奥から見て行く事にした。最初は旧チチェン・イッツァにあったというカラコルと呼ばれる天文台(El Caracol)。
今の天文台を同じような形なことに驚いた。説明を読むと、東西南北に窓があり、秋分や春分の月没や日没を正確に観測できる方向に窓がつくってあり、天文台の台座は金星が最も北に沈む方向に向けてつくってあるらしく、当時の人がいかに正確に暦をつくっていたかがよくわかる。
次は壁画がすごかった尼僧院(Casa de las Monjas)。でも実際の当時の役割は明らかになっていないらしい。
遺跡の修復やゴミ拾いをする人たちが、朝だからか結構いて、遺跡にばんばん入って行っていたのがちょっとびっくり。よっかかって、おしゃべりしたりしていて、いいのか悪いのか…。
あとイグアナがいた。
旧チチェン・イッツァはこんな感じで、新チチェン・イッツァと呼ばれる方へ。戦士の神殿(Templo de los Guerreros)とそれを囲む千本柱。
神殿の正面から。
生け贄や貢ぎ物を投げ入れたと言われている聖なる泉。
この泉だけちょっと離れていて少し歩くのだけど、そこまでの道の両脇にすごい数のお土産屋だった。チチェン・イッツァはここだけじゃなくて、全体的にどの小道にもお土産屋がかたまっていて、本当に雰囲気が壊れるなと思う。朝にきたからまだ開店してない間に半分は見れたので多少はましだった。
後編はメインのピラミッドであるエル・カスティーヨ(El Castillo)へ。
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午後からだと人が増えてゆっくり見れないと宿の人に言われたから、朝早くから見に行くことにした。6時出発のバスでまだ周りが暗い。
着く頃にはもう明るくなっている。まさかこんな大きく入り口が分かるように書いてあると思わなかった。
入場は57メキシコペソになぜか120メキシコペソのチケットがないと入場できなくて、結局177メキシコペソ(約1,062円)払った。
チチェン・イッツァは7世紀に繁栄した、都市遺跡。頻繁に遷都していたらしく、6世紀から10世紀前までに繁栄した旧チチェン・イッツァと、10世紀以降に繁栄した新チチェン・イッツァに分かれている。入り口は入るとすぐにメインであるピラミッドがあるが、後にじっくり見たかったから、奥から見て行く事にした。最初は旧チチェン・イッツァにあったというカラコルと呼ばれる天文台(El Caracol)。
今の天文台を同じような形なことに驚いた。説明を読むと、東西南北に窓があり、秋分や春分の月没や日没を正確に観測できる方向に窓がつくってあり、天文台の台座は金星が最も北に沈む方向に向けてつくってあるらしく、当時の人がいかに正確に暦をつくっていたかがよくわかる。
次は壁画がすごかった尼僧院(Casa de las Monjas)。でも実際の当時の役割は明らかになっていないらしい。
遺跡の修復やゴミ拾いをする人たちが、朝だからか結構いて、遺跡にばんばん入って行っていたのがちょっとびっくり。よっかかって、おしゃべりしたりしていて、いいのか悪いのか…。
あとイグアナがいた。
旧チチェン・イッツァはこんな感じで、新チチェン・イッツァと呼ばれる方へ。戦士の神殿(Templo de los Guerreros)とそれを囲む千本柱。
神殿の正面から。
生け贄や貢ぎ物を投げ入れたと言われている聖なる泉。
この泉だけちょっと離れていて少し歩くのだけど、そこまでの道の両脇にすごい数のお土産屋だった。チチェン・イッツァはここだけじゃなくて、全体的にどの小道にもお土産屋がかたまっていて、本当に雰囲気が壊れるなと思う。朝にきたからまだ開店してない間に半分は見れたので多少はましだった。
後編はメインのピラミッドであるエル・カスティーヨ(El Castillo)へ。
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